ひとりのためのクリスマスディナー

 Poisson 

一方“お一人様の彼女”はスタッフの心配をよそに嬉しそうに舌鼓を打っていた。
席に寄る度彼女は俺に料理の感想を伝えて来る。
普段から一人客には特に、可能な限り話相手になるようにしている。今日唯一の一人客がピークの時間帯ではなかったのは幸いだった。
「さっきね」
彼女がそう話しかけてきたのは魚料理への賞賛の直後だ。
「若月さんって呼ばれてドキッとしちゃった」
「え?」
突然、慣れない人から苗字を呼ばれて驚いた。彼女は俺の胸元を見ながら笑っている。そこには“若月”と書かれた名札。
「同じ、名前」
一瞬、言葉を失い彼女をじっと見つめてしまった。含み笑う彼女は妙に艶めかしい。
「……ご予約、若月様でしたね」
やっとの事で彼女の意図に気が付いて言葉を馳せれば彼女は満足そうに微笑んだ。
「若月って苗字、私好きだな。このお店にぴったりな名前だね」
「ありがとうございます。私も、実は気に入っているんです」
俺がにこりと微笑めば、彼女も楽しそうに笑った。

それは俺の得意客との話のネタだ。
レストランの名前と俺の苗字は意味が殆ど同じだ。実は密かに採用の理由もそこにあったのではと思ってもいる。
オープン間もない当時、スタッフは系列ホテルからの異動で占められていた。
そんな中、俺が初めて採用された新入社員だったのだ。
ホスピタリティについて俺はレストラン部門長だけでなくホテルの支配人からも直々に指導を受けたし、料理におけるもてなしの精神を料理長から、デザートが持つ芸術性と演出をパティシエ長から叩き込まれた。
初めての新卒という事であらゆる職種の長が俺を構ってくれたわけだ。
今ではパーティーや披露宴を責任者として取り仕切る事もあるし、一応はバンケットチーフという肩書もある。
今の俺があるのは多くの年長者達から教えのお陰だと感謝している。

そんな風に仕事に打ち込んできた俺も、そして杏も、徐々に変わっていった。
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