恋愛生活習慣病
適量が大切です。過度な摂取は控えましょう。

act.14

◇◆◇


彼とはもうずいぶん会っていなかった。
3か月……正確には3か月と10日。
連絡は思い出したように来る短いメールと電話。
12時間の時差と約11000キロの距離は、想像以上に壁となっていた。

彼は忙しいひと。

それは付き合う前から分かっていたことだ。
今回は短期の出張の予定だったがトラブルがあったとかで調整が難航し、3か月もニューヨークに足止めされている。帰国の目途は立っていない。

(会いたい)

夜中の0時。
眠る気になれず、彼女は窓を開け夜空を見上げた。
住宅街の明かりに遮られて、星はほとんど見えない。
細い月が暗闇の中にぽつんと浮いているように見える。
なんだかひとりぽっちで寂しそうだ。

ほう、と溜息を吐いた時、ベッドの上のスマートフォンが鳴った。
設定していたこの曲を聞くのは久しぶりだったが、耳が捉えると頭で理解するよりも早くスマホに飛びついていた。


「李紅?」


声を聴くのはひと月ぶりだった。低音の、体の芯に届くような彼の声。
それだけで目が熱くなって涙が溢れそうになった。


「よかった。もう寝てるかなとは思ったんだけど」

「ううん。なんだか眠れなくて……月を見てた」

「月?」

「うん。空はニューヨークと繋がってるから、あなたも同じ月を見てるかなと思って。あ、でもそっちは今、昼間だよね」


繋がっていても同じ月は見えない。見ているものは違う空。
当たり前の事実だが、気づくと酷く寂しい気持ちになった。

「細くて寂しそうな月だな。抱きしめたくなる」


くすり、と彼女は笑った。まるで今見ているかのような彼の口ぶりに心が少し浮上した。


「そっちの月は、今の時間は青い空に太陽もいるから寂しくないんじゃない?」

「いや、寂しそうだ。暗闇で震えて、今にも泣き出しそうだよ」

「え?」


彼の言葉に思考が止まる。
暗闇。
彼の見ているのは青い空ではない?


「李紅、ドアを開けてくれないか?」


スマホを放り投げて部屋を飛び出した。
玄関のドアを開けると、ニューヨークにいるはずの彼が華奢な彼女の体を痛いくらいに強く抱きしめた。


「寂しそうに震えている君を抱きしめに帰ってきた」



◇◆◇



あれから話し合いの結果、仮のお付き合いがスタートしました。
あくまでも、仮。
付き合ってはいないのでこんな感じにはなっておりません。妄想なのでいろいろ盛ってるのは仕様。

だけど冬也さんは、こんな妄想をしてしまうくらいに、ちゃんと付き合う気満々。マメすぎて驚く。

たまに海外に出張はあるみたいだけど、少しでも会う時間を作りたいからと言って1泊3日とか弾丸ツアーみたいにすぐ帰ってくるし、SNSアプリの連絡も電話もマメ。
対して私、スタンプ1個で返信してるんですがこれって可でしょうか不可でしょうか。

たぶん、このまま普通に付き合えば、私は恋に堕ちる。ドボンと、ドツボに。
私を好きだと言ってくれる冬也さんは、ものすごく素敵な人だ。
高収入、高学歴、高身長、高顔面偏差値と揃いも揃ってて、見た目や条件だけでなく、優しさや、穏やかさ、頭の回転の早さなど、彼の素敵なところは余りある。

だけど無理だ。何から何まで格差がありすぎる。

私は人生経験をそれなりに積んできた三十路の大人なので、そういう格差は価値観の違いを生むことを知っている。
価値観の相違は気持ちのズレを生み、いくら好きでも埋められない間をつくるだろうってことは想像に難くない。
若ければノリや勢いで何とかなったかも知れないけど、三十過ぎた今、その柔軟性はない。

そこで、なし崩しに付き合おうとしている冬也さんに私は「仮」のお付き合いを提案した。

仮。あくまでも仮である。
お試し期間を設けて様子をみましょうと。

恋をすると人は宙に浮かび、自分も相手も天使になる、と聞いたことがある。
期間を置いて冷静になると地面に足が付き人に戻った瞬間、はっと我に返るそうだ。

冬也さんも、体調のせいなのかストレスが溜まり過ぎてるのか原因は不明だけど、平凡以下のこの私を可愛いなどとしょっちゅう口にするくらい認知力が尋常でない状態になっているので、冷静になる時間が必要じゃないかと思ったのだ。

少し時間が経てば落ち着いて、なんでこんな女が好きだなんて思ったんだろうと思うはず。
私とは合わないってきっと分かる。

冬也さんはお試し期間なんか必要ないと言ったけど「だから私は変なとこで面倒くさい女だって言ったじゃないですか。嫌なら今まで通りのメシ友でいましょう」と言い張ったら渋々折れた。


とにもかくにも仮交際は始まり、デートをしようってなったんだけど。


「記念にプレゼントさせて」


何も記念することはないのに、六本木の複合ビルに入っている、入り口に外国人の屈強なガードマンが二人立ってる高級ブランド宝飾店に連れて行かれそうになった。

ロゴを見れば庶民でも分かる、芸能人が婚約指輪を買うような有名高級ブランド店。
特別な記念であっても庶民は足を踏み入れることを躊躇するような場所。
決して付き合ってもいない仮の彼女に気軽にアクセサリーを買うような店ではない。


「ちょ!ここそんなお店じゃないですよ!」

「この店は李紅の好みじゃなかった?その隣の店にする?それとも銀座に行くか」

「好みとかそんな話じゃなく……こういうお店は気軽に入るような所じゃないでしょ。プレゼントもいりません」

「どうして?……ああ、もしかして既製品は嫌?だったらオーダーにしよう」


おかしい。この人感覚おかしいよ!
雑貨屋で名前入りキーホルダーを買うみたいに、あの高級店でオーダーって……!
もちろん、必死で阻止した。

映画館は貸し切りにしようとするし(見知らぬ他人と袖が触れるくらいの距離で隣り合って狭い席に座るのが嫌いらしい)水族館も貸し切ろうとするし(落ち着いてゆっくり見たいから)、外出デートは、なんだかげっそりした。


それだけじゃない。
連休の過ごし方についての話題になった時、冬也さんが「どこか旅行に行かないか?」と提案をしてきた。


「Peyto Lakeはどう?そろそろ雪が溶けてコバルトブルーの湖が見れる時季だ」

「ペイ……?ってどこですか」

「カナダ」

「遠!」


いや、それ以前に仮のお付き合いなのにお泊りはどうかって話なんだけど。
しかし冬也さんは遠いと発言した私に代替え案を出してきた。


「峴港は?アジアだから近いし」

「……どこですかそれは」

「Da Nang City。ビーチでひたすらのんびりしてもいいしHoi Anまで足を延ばして観光してもいい」


すんません、それってどこですかと再度聞いたらベトナムですってよ。
無言になったら「ごめん、平凡すぎたかな?」だと。
ベトナム高級リゾートは平凡じゃねーよ!


ダメだ。感覚が違いすぎる。

冬也さんと付き合っても無理だ。続かない。経済格差パねえ。
私は無理だと思ってる。けど、冬也さんはそうは思っていない。
仮のお付き合いは当分の間続く。
でもその間にあの素敵すぎるイケメンを好きにならない自信が無い。
ああ、どうしたらいいんだろ。

こんな時こそ、友人たちに相談しよう。


「調子にのってんじゃないわよ李紅のくせにー!」

「おいしいとこ取りしちゃって羨ましいだろー!」


久しぶりの元同期飲み会は、荒れ模様の展開となった。
今日は約3ヶ月ぶりに近い、居酒屋女子会。
たまにSNSでやり取りはしてたけど詳しいことは伝えてなかったから、いろんなことで絶叫された。
久しぶりに顔を出したと思ったら、私が激やせしてるし。

激やせも事件だけど、干物化が進んだ鈴木李紅の大事件といえば、冬也さんの案件である。

彩芽と紗理奈には、フィットネスジム勤務になったことがきっかけで、同じビルで働くコンサル会社勤務の彼と知り合ってメシ友になったと話した。
そして、なぜか彼は私と付き合いたいらしいけど、恋愛格差がありすぎて無理だと思うから「あなたに恋愛感情を持ってないしヒモと付き合いたいから無理」と断ったことや、それでも付き合いたいと言うから「仮」で付き合うことにしたことなどを、つらつらと話した。

話しながら、あれ?私のくせに上から目線で偉そうじゃね?と思ったら、友人たちもそう感じたらしく、
さっきから

「調子にのってるよ、この女!」

「妄想ばっかしてるアホなのに!」

と罵詈雑言を吐きまくっている。


「まあまあまあ。驚くのはまだ早いのだよ君たち。私のことが好きだと言ってくださる冬也さんはね、なんと、ハイスペック眼鏡美形男子なのだ!」


「「幻聴幻覚?」」


切り返し早!しかもダブってる!
うん、まあでもそう言われると思ったので、じゃーん。証拠写真を撮ってきた。


「いつもの妄想じゃないのだよ。ほら」


スマホの画面を二人の目の前に出すと、ワクワクした顔で覗き込んだ2人の動きが止まった。
彩芽も紗理奈も、ぽかんと口を開けている。
だよねー。そうなるよねー。
めちゃめちゃカッコいいもんね。

画像はスーツ姿で仕事モードのクールな冬也さんと、私とツーショットの少しだけ笑みを浮かべている冬也さんの二枚。
横に並ぶと顔の大きさと造作の違いが辛い。
同じ人間族とは思いたくないレベルの差よ。

「撮られるのは好きじゃない」と言われたけど、友人たちが絶対に妄想だろうといって信じてくれないはずだから「お願いです!1回だけ!1回だけちょっとだけでいいからお願い!」と飲み屋のおねーちゃんを口説くオヤジのようにしつこくお願いしたら、キスと私の画像(アップと全身)の提供を条件に取らせてくれた。

ええ、されましたよベロちゅー……。ラウンジの柱の陰で……。
その直後に、私の超しまりのない間抜け顔を撮りやがりましたよ。嫌だって言ってんのに、さすがはドS眼鏡。


「これ……合成写真?」

「ちがうし」

「このスーツの画像、シェアして。私もフォロワーになる」

「モデルのインスタじゃないし!私が生で本人を撮った普通の画像なの。加工もしてない」

「無修正?うそだあ」

「してないみたいよ。ほら、こっちの2人で並んでる画像見てみ。李紅はいつものひどい有様だけど、イケメンは安定して美形だよ」


二人とも宙に浮いていた意識が戻ってきたと思ったらこれだ。
それからは怒涛の質問攻めになった。


「この外見でコンサル?」

「マッキンリー・アンドなんとかって会社」

「うわ!そこ、すんごく年収が高い会社でしょ」

「あー、うん。お金は持ってそう。Sky Nextの53階に住んでた。すごい広くてモデルルームみたいな部屋。ホテルの個室で朝ごはん食べたり、ホテルのレストランから部屋にデリバリーしたりハイソなサービスに慣れてるしさ、ランチもステーキとか京風天ぷらとか、いつも豪華で美味しい物ご馳走してくれるし」

「食べてばっかりかーい!部屋まで行ったんでしょ?色っぽい雰囲気にはならなかったの!?」

「腕毛とすね毛がボーボーで、下着はよれたカップインキャミで酒臭かったんだよね、私」

「バカ!へその奥まで全身脱毛しとけ!酒を飲んだ後にミントタブレット1ダース飲め!」

「いい男と会うなら布少なめのエロエロ勝負下着は常識だボケ!」


興奮して二人とも口が悪い。
でも、ようやく私が無理だ信じられない、恋愛格差がありすぎると言った意味を理解したようだ。


「顔もスタイルも収入も良すぎて現実味がない」

「こんな人と付き合ってもモテすぎて心配ばっかりしてなきゃならない」


という結論に達し、冬也さんは観賞用としては文句ないけど、恋人にはしたくないと言われた。
やっぱそうだよね。うん。


「今回のはさ、フォアグラばっか食べてる人がホルモン焼きって美味そう、ちょっと食べてみたいって思うようなもんだよきっと」


良い例えで話をまとめたと思ったのに「あんた、またすぐ太りそうだわ」と二人して言われた。
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