恋愛生活習慣病

act.13

「へ?」

「だから俺が付き合っているのは李紅だろう?他の誰かと付き合っていると言った覚えはない」


何を言い出したんだこの人。
冬也さんと付き合っているのが私?
え?だって、私、付き合えないって断ったよね。


「おっしゃる意味が分かりませんが」

「俺の方こそ意味が分からない。どうして二股なんて言葉が出てきたんだ。しかも李紅が浮気相手のような言い方になっているのはなぜだ」

「それは……だって冬也さん、私をセカンドにしようとしてたでしょ?」

「……」


冬也さんは私の発言に虚を衝かれたようにフリーズすると、そのまま5秒は固まって、はあと溜息を吐いた。


「……李紅。君の思考回路を見てみたいよ。さっきのヒモと付き合いたい発言といい……いや、いい。まず話を整理しよう」


同意。話が嚙み合っていないようなので、整理は必要だろう。


「俺は君に好きだと言った。付き合おうとも言った。それは理解してる?」

「む。理解してますよ。日本語は分かります。で、私は付き合えませんと断りました」

「うん。ヒモと付き合いたいから俺とは付き合えない、と言ったね。でも李紅の理想とする男女の仲は、お互いに尊重しあい、足りない部分は補い合って、かつ過干渉しない関係だろう?ヒモという形にとらわれなくてもそのような関係を築くことは可能じゃないかと俺は言った」


うん。そんなことを言ってたような気がする。多分。


「俺は、俺は李紅に依存するつもりはないし、搾取もしない。李紅の行動や生活習慣、趣味に口出ししないし、李紅が嫌な事はしないし、李紅がやりたいことは尊重する、と言った」

「はい」


なんでもよく覚えている人だ。うん、そんなこと言ったね。言ってた。


「で、お母さんやおばあちゃんと食事に行くのはOKって言いましたよね私」 

「その前に大事な約束をしただろう?」

「え?何か言いましたっけ」


身内と食事に行くくらいの寛容さはありますって言ったよね?他に?
首をひねっていると、冬也さんが不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。


「他の男性と関係を持たない」


あー、はいはい。そんなことも言ってたね。


「李紅、大事なことだから忘れないように」

「忘れるも何も、関係を持つような殿方は皆無ですから」


私が今、関わりある男って60近いクリニック院長か、オネエの筋肉室長ぐらいだし。
きっぱり言い切ったのに冬也さんはなぜか「天然なのか。天然だろうな」とぶつぶつ言ってる。


「その件はまあいい。そして俺は、李紅しか見ないし他の女と仕事以外では関わらないと言った」

「あ、はい。言ってましたね」

「他に気になることはあるかと聞いたら、李紅はない、と言った。さらに問題はないかと再確認した」


……ん?


「複数回確認しても李紅からの問題提起はなかった。よって、俺と李紅が恋人関係になることにおいて障害となるような問題はない。李紅も「はい」と返事をして同意したじゃないか。だから俺たちは付き合うことになった」

「え?ええ?」

いつの間にそんなことに!?
大慌てでこれまでのことを振り返ってみる。
……今の話に嘘はないし、その前に好きだ、付き合おうとも言われてるし「はい」とも言った。
言った気はするし、おかしなところはないけど。
なぜだろう。うまく丸め込まれているような気がする。

あ!そうだ。大事なポイントが抜けてるよ。


「ハイ!冬也さん。私、冬也さんに恋愛感情を持っていないので付き合えませんとも言いました!」


右手を挙手して元気よく意見すると、ちっと音がした。え?今舌打ちされた?


「そこは気づかなくていい」


いや、一番大事でしょうよ。気づこうよ。てか冬也さん気づいてたのに無視してたね。


「李紅が俺のことを好きになれば問題はない」

「つ、強気ですね」

「好きだからね。弱気になったら手に入らないだろう」


うわ……。さらっと好きとか言うよこのひと。


「顔が赤いよ」


わずかに細めた涼やかな双眸が、からかうような甘い色を浮かべている。
大きな手のひらで頬をそっと持ち上げられて、頬にちゅ、と軽いキスを落とされた。

う、うわああ甘い!甘いんですけど!?


「ねえ李紅。俺を好きになって」


頬、鼻、額と顔中に小さなキスを沢山なさってます。と、溶ける。溶けてしまう。ドロドロに溶けそうですよ私……!

このイケメン様が。
見た目クールで近寄りがたいオーラ出してるこの美形様が、私に「好きになって」とか言ってますよ。
体内の血液が沸騰しそう。もうすぐ私、死ぬかもしれん。
二次元的存在になってるイケメン神に好きなどと言われて、正気を保てる自信がない。


「李紅、さっき泣いたのはどうして?」


唇にも軽いキスをした冬也さんが至近距離で私の目を覗き込んだ。
黒に近い、深い青の瞳。夜の帳のように何もかもを包み込んでしまうような色。


「泣いた…?」

「そう。さっき抱こうとしたら泣いて嫌がっただろう?泣くほど俺が嫌い?」


さっき……?ああ、お風呂に入る前のことか。


「あれは……冬也さんが嫌いとかじゃなくて……。私、ちゃんと好きな人としか、そういうことはしたくないんです。適当な性格なんですけど、そのあたりは融通が利かないっていうか。恋愛すると、他にもけっこう面倒くさいことを言ったりやったりするし、向いていないんです恋愛」


恋愛体質からは程遠い、変なところがお堅いという女なんです。
だから振られるんだよなあ。
苦笑しながら正直に話すと、ぎゅうっと抱きしめられた。


「と、冬也さん?」

「嬉しいよ。李紅が一途なひとでよかった」


面倒くさい恋愛観を一途と解釈してくれたらしく、冬也さんはほっとしたように呟くと、私の頭にキスをした。
何が喜ばせているのか不明だけど、嬉しいならまあいいか。

抱きしめられた広い胸の中は温かくていい匂いがする。
さっき見た、何も着ていない上半身裸の冬也さんは、モエちゃんが言っていた通り綺麗な筋肉が付いたイイ体だった。
それを思い出して余計にドキドキする。走った後みたいに脈拍が速い。ヤバい、血圧も上がりそう。


「李紅が、俺のことをちゃんと好きになるまで待つよ。無理やりは抱かない」


うおお…! 耳の近くでそんなこと言わないでください! 腰が、腰が抜ける…っ。

大事な物を触るみたいに優しく髪をなでられて、髪やらこめかみにキスされて、時々、顔を離してじっと見つめられて唇に何度も軽いキスをされて、うわあうわあ、こんなの慣れてないから! 免疫ないから!


「早く、俺を好きになって」


キスと口説き文句の甘い甘い荒波に押し流されそうになって、イケメンによるときめきショックで萌え死という診断名が脳裏をよぎった時、チャイムが鳴った。
だ、誰か来た。


「だ、誰か、来たみたいですよ」

「朝食だよ。さっき頼んだから」


冬也さんは頬と首筋に短いキスを二つ落とすと、名残惜しそうにようやく体を離した。


「朝食?」

「受け取ってくるから座ってて」


デリバリーでも頼んだのかな。言ってくれればコンビニにひとっ走り行って買ってきたのに。

……女子的にはここで「あり合わせの物で作る」という発想があるのだろうが、私にはない。コンビニおにぎり上等。

せっかく淹れてくれたお茶は冷めてしまったから、淹れ直そうと思って鉄瓶に水を入れ火を点けたタイミングで冬也さんが戻ってきた。
銀色のワゴンを押している。上には黒いお櫃としゃもじにお茶碗、小ぶりの魔法瓶のような容器と四角い保温バックのようなものが乗っていた。


「それ……」

「下の厨房に頼んだ。食べに行ってもよかったけど、李紅は家の方が落ち着くかなと思って」

「下の……厨房?どこかのお店のデリバリーではなく?」

「下のCitron Oriental に頼んだよ。李紅は和食推奨だろう?前に李紅が朝食には青魚が良いと言っていたからそうしたけどよかった?」


日本の伝統的な食事は糖質、タンパク質、脂質のバランスがベストに近いので、例の朝食付きヨガでこだわった部分でもある。
覚えていてくれて和食にしてくれたのは嬉しいけど、Citron Oriental てホテルよね。
だが。
あのホテルは日本にひとつしかない。
なんでそれが住居の下にあるの?


「あの。もしかしてここって、まさかCitron Oriental TOKYOの上?」

「そう。53階」


ご、53階?
ここ、Sky Next TOKYOの53階!?
超セレブが住んでいるという噂の、あの、超高級賃貸マンションとかいうあそこ!?
はああ!?


「料理が冷める前に頂こう。李紅、座って」


私がただ驚いている間に、できるイケメン冬也さんはお椀にお味噌汁を注ぎ、保温容器からお皿を出して並べていた。
お櫃からツヤツヤしたご飯を陶器のお椀によそってくれて、はい、と渡してくれる。
何もせず、上げ膳据え膳ですみません。両手を合わせて頂きます。

…………うん。
五つ星ホテルの上に住んでてホテルからデリバリーなんて、とんでもない事案はとりあえず、今は置いておく。
この素晴らしい朝食を上の空で食べるなんて失礼なことはできない。
誠意を持って、今は朝ごはんに集中しよう。

そして一口。
うわあ…………!

本物のお出汁が胃にじんわりと染み入る。
飲んだ翌日は、お味噌汁ってひときわ美味しく感じるよね。
高級旅館のような、って高級ホテルのだけど、朝食はどれも職人技が利いていて、地味に見えるけど一品一品が丁寧に手を掛けて作られているのが分かる、すごく、ものすごく美味しい朝食だった。

ああ、朝からこんな贅沢なんて。でも美味しい。幸せ。
洋食のバターたっぷりパンやオムレツも美味しいけど、和食はどれもが体の元になって血や肉を作る感じがして罪悪感なくモリモリ食べれるから幸せ。


「李紅は本当に美味しそうに食べるね。可愛い」

「ぐっ、げほ」

「大丈夫?ほら、お茶を飲んで」

「ちょ、冬也さんが、けほ、変な事、言うから」


甲斐甲斐しく世話を焼いてるけど冬也さん、あなたのせいで喉に詰まらせるとこでしたよ。
大口開けて海苔を巻いたご飯を口に頬張る三十路女のどこが可愛いんだ。
冬也さんは一度、目の検査を受けた方がいいと思う。目のフィルターのどっかおかしい。絶対。

世界的な有名企業で働き、若くして年上の部下を持ち、高給取りでセレブなマンションに住んで一流ホテルのサービスを使い慣れた眼鏡の似合う美形男子、33歳独身。

そんなハイスペックイケメンが私のことを好き。
私と付き合いたいけど、好きじゃないから付き合えないと断られている。

考えれば考えるほどありえない状況を受け入れられず、私は美味しい朝食を食べることに集中したのだった。

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