恋愛生活習慣病

act.15

雅くん……内田 雅治(うちだまさはる)くんは同じ大学の医学部医学科出身で二つ上の先輩。
私は看護科で彼とは同じサークルで知り合った。

リーダーシップがあって面倒見が良く、目標に向かって楽しそうに努力する彼が私は大好きだった。
笑顔が素敵な爽やかイケメンな彼はかなりモテてたけど、私は地道にひたすらアピールを続け、大学四年の夏にようやく彼女の座を手に入れた。

それから27歳までの約五年間、彼とは細くほそーく長く付き合った。
細く、というのは彼と私はラブラブな恋愛関係じゃなかったからだ。
私は好きで憧れて突っ走ってたけど、雅くんにとって私は後輩で妹みたいな友だちに近かったんだと思う。
私は結婚も考えてたけど、雅くんは私にそこまでの気持はなかったらしく、最後は

「李紅の気持ちが重すぎる」

と言われて振られた。

その後すぐに雅くんが大病院の跡取り娘の同僚ドクターと婚約したと聞いて。
私はショックで何も手がつかなくなって、何とかしなきゃと趣味でやってたヨガに精神安定を求めてどハマりし、これを機会にリセットしようと仕事を辞めてインドのヨガ修行に行った。それが三年前。



「久しぶり。元気だった?」


柔和な笑みを浮かべた雅くんは、あの頃と変わらずイケメンだ。
目じりに昔はなかった笑い皺が浮かんでいる。雅くんも30代になったんだな。

って、あらびっくり。私、思ってたよりも冷静だよ。
再会したらどうしようって、どれだけ動揺するかと思ってたけど、意外になんでもない。

雅くんと会うのは三年ぶり。
結婚してアメリカに留学したと聞いてたけど、帰国したのか、たまたまなのか。


「どうも。そちらも元気そうですね。じゃあ」


元カレなど話すことは何もない。
三年前は思い出とするにはまだ早すぎる。私としては、どちらかというと、まだ会いたくない人物だ。
なのに立ち去ろうとした私の腕を雅くんが掴んだ。


「待って。せっかくだから少し話そうよ。俺、先週、アメリカからこっちに戻ったんだ。それで久しぶりに長谷部たちと飲んでるんだけど。覚えてるだろ?同じ海外研の長谷部。岡崎もいるし一緒に飲まない?」

「いえ。私も連れがいるんで」

「連れってどうせ彩芽たちだろ?なら一緒に飲もうよ」


む。どうせってなんだよ。
その通り、どうせなメンツで飲んでるけど、雅くんたちと一緒に飲みたくない。
あー、もうなんでこの店に来るかな。


「ごめんなさい、彼と来てるんです。失礼しまーす」


男といると言えばさすがに引き止めないだろう。こてっと首をかしげて女子的仕草で、にこりと笑う。
30女のくせにかわい子ぶるなとか言わないでほしい。彼がいる愛され女子を演じてるんです。……え?分かりにくい?


「久しぶりに会ったのに素っ気ないな。少しくらい話すのもダメなの?」

「ダメなの。彼、すぐ嫉妬するからこんなところ見たら怒られちゃう」


誰が怒るんだよ。怒られ「ちゃう」ってなんだよ。と自己ツッコミ入れながらも私は女優。
彼が向こうで待ってるの。私、愛されてるの幸せなの。だからあなたとは関わりたくないの。的な。


「そうか。そうだよな。あれから結構経つし男くらいいるか」

「そうですよ。こう見えて私モテるんで男のひとりやふたりいますよ。じゃあ」


いい加減、手離してくれないかな。
男いるって言ってんじゃん。あっちの席で私の戻りを待ってるって言ってんじゃん。……妄想彼氏が。


「李紅、結婚は?まだしてないの?」


古傷抉る気か!
あんたと別れてから結婚どころか彼氏もいねーよ!
とは言えない。あー、さっき「彼」じゃなくて「夫」って言えばよかった。

ああ、こんな時。
漫画やドラマだったらこんな時、こんな場面で「微妙な関係の気になる彼(ただしイケメンに限る)」が「偶然」登場するのに。
肩をさっと抱き寄せながら「何してたの?待ち長くて迎えに来ちゃったよ」とか言うの。


「遅いよ、李紅」


そうそう、私の場合は冬也さんがこんなふうに耳元で甘く囁きながら背後から抱きしめて……。




………………なんてことは残念ながら無く。

現実に背後から絡んできたのは、ハイテンションになってる酔っぱらいの紗理奈だった。


「りくー、ユーリン(urine 尿)漏れるー、トイレこうたーい!…………あ、雅さん?」





結局、紗理奈と彩芽のいつものメンツで飲んでいることがばれて、雅くんたちのグループと合流するはめになった。


「李紅は相変わらずおもしろいなー。男がいるなんて見栄張っちゃって」


彼とふたりで飲んでいる、という嘘設定をばらされて、久しぶりの人たちの前で大笑いされた。

雅くんと飲んでいたのは、大学の時に入っていた海外交流研究会の長谷部先輩と私らと同期の岡崎、それに雅くんの後輩ドクター、長友くん。

彩芽も紗理奈も海外研だったので、長谷部先輩と岡崎とは旧知の仲。二人も大学病院の勤務医で、仕事でもたまに顔を合わせるとは聞いていた。
長友くんは紗理奈と同じ消化器外科に勤務していて、紗理奈のことが好きらしいだけど攻めきれない草食系男子。
彩芽は手術室勤務なので長友くんとは仕事絡みで知っている。
私と長友くんは初対面だけど、それ以外はみんな気楽な知り合いなので、一緒に飲むのは構わないんだけど。


「李紅ー。お前、失恋で仕事辞めるまでにしとけば可愛いのに……インドって!ぶは!」

「何がおかしい岡崎。そこ笑うとこじゃないし」


私を酒の肴にするのは止めてくれ。


「頭丸めて仏門に入ったって聞いたけど……この頭ってウィッグ?」

「頭も丸めてないし仏門に入ってないし三年も経ってるんだから、もし髪剃っても生えてます、っていてて!髪引っ張るの止めてくれませんか、長谷部先輩」


ナースとドクターが付き合うなんて良くある話で、誰と誰がくっついた別れた浮気した取られた奪ったって公然の秘密みたいに筒抜けな院内恋愛だからそう珍しい話じゃないのに、みんなして絡んでくる。
長い付き合いの雅くんと別れて、この人たちとも一方的に関係を切っちゃったから、悪いのは私なんだけど。

しかし納得いかない。
それなりに長く付き合ってた男に振られて傷心だったから、思いきりベリーショートにしたり、心機一転しようと仕事を辞めて旅に出たってだけなのに、なぜか

「ライバルとの恋に破れ、傷心のあまり発作的に髪を削ぎ落した鈴木李紅は、この世の煩悩と決別するために仏門に入るべくインドに渡った」

という話になっていたらしい。なぜだ。

まあ私も詳しい話を彩芽と紗理奈だけにしか話していなかったし、二人とも他人にべらべら話すような子じゃないから、話に枝葉が付いてそんな話になったんだろうけど。


「なんでそんな話を信じますかね」

「なんでって鈴木だからな」

「李紅だったらやるだろ、それくらい」


長谷部先輩も岡崎もヒドイ。
私という人間をそれなりに知ってるはずなのに、そんな思い込みの激しい変なやつ扱い。


「周りがそう思うくらいに、俺のことが本気で好きだったんだよな、李紅は」


いけしゃあしゃあとそんなことを仰る雅くんはにこにこ笑って機嫌が良さそうだ。
よく言うわ。重いの嫌だって言ってたでしょアナタ。


「雅くんは余裕があっていいね。既婚者の余裕ですかそれ」

「既婚?って誰が。俺のこと?」

「他に誰がいるの。私と別れた後すぐ婚約したって聞きましたよ。あれから結婚されたんですよね」


それで、翌年くらいにふたりして最新医療を学びにアメリカの病院に留学したって。
聞いていた通りに口にしたんだけど、男性陣の空気が、ぴし、と固まった。


「李紅。その話、禁句」

岡崎が言いにくそうにぼそりと呟いた。


「……彼女とは離婚したんだ。半年前」


苦笑いしながら、雅くんが言う。

ま、まじですか…………。
海外生活で何があったかは知らないけど、まさか離婚していたとは。


「だから今日の飲み会は俺を慰める会でもあるんだ」

「それは、まあ……いろいろとお疲れ様でした……」


引きつった顔でそう言うと、雅くんはぷっと噴出して「李紅はそういうところ、全然変わってないな」と笑った。


「結婚も離婚もこんなにパワーを使うものだなんて思わなかった。俺、もうげっそりして何もやる気ないよ」

「それは……分かるような気がします。結婚も離婚もしたことはないですけど」


私はあなたと別れて恋愛エネルギーは枯渇しましたよ。
おかげでこの三年間、まったく恋愛してません。


「それに比べて李紅はすごい。失恋してインドまで行く行動力と前向きなパワー。強いな」


あー、インド。まああの頃は20代だったし。
それにあの時は私、自分をストイックに見つめすぎてたからね。変な勢いがあったというか。


「あの時は趣味でやってたヨガをもうちょっと真剣にやろうかなと思って、インドの研修に行っただけだし。失恋がきっかけになったのは確かですけど、それだけです。前向きだったわけじゃない」


前を向くどころか後ろ向きに走っていたかも。
でも転機にはなったのかな。

雅くんに色気がないと言われたのがきっかけで始めたヨガ。
李紅は色気がないからあまりそういう、性的な気分になれないと言われて落ち込んで「柔らかい体は色気を生む」というヨガの特集記事を雑誌か何かで見つけて始めた。
しかし私の色気の無さは体の柔軟性が原因ではなくて根本的なものだったので、股関節の可動域が広くなったからといって色気は生めなかったけど。

失恋したくらいで仕事を辞めるなんて思い切ったことをしたなーとは思うけど、後悔はしていない。
失恋は辛かったけど、雅くんを好きになって得たものは多いし、今はそれなりに幸せだし。

あの頃の私は、海外で医療支援をするのが目標だった雅くんと「いつか一緒に働きたい」と思ったから勉強も海外ボランティアも頑張っていた。

ライフラインの整っていない発展途上国で暮らすことを想定して、他大学のサバイバルサークルにも入って、火起こしやナイフの使い方、ロープのもやい結び、霧とネットを利用した水の採取方法などを必死に覚えたり。
おかげで野外活動は割と得意だ。テント張りも飯ごう炊飯も魚とりの仕掛けだって一人でできる。

そんな話をしていたら、長友くんが、自分もアウトドアやキャンプが好きだと話に乗ってきた。
草食系だと思ってたけど意外に活動的だったらしく、夏はキャンプ、冬はスノーボードを楽しむらしい。


「じゃあ今度、みんなでバーベキューパーティーしませんか」


季節も良くなってきたし、道具なら全部あるし、雅さんと俺の車は四駆なんで山道でも砂浜でもガンガン行けますよ。などど長友くんが余計な提案をした。
草食かと思ってたら、おま!ロールキャベツ系か!?
これをきっかけに紗理奈と一気に仲良くなろうとか思ってるだろ!


「おー、いいね!」

「いつにする?週末に夜勤のあるやつ教えてー。スケジュール合わせようぜ」


男どもはがぜん乗り気で、さくさく予定を立てだした。

「李紅、スマホ出して。前とアドレスとか番号、変わってるだろ」

はい、と雅くんが右手を差し出すけど。教えたくない。

「あのね、意識しすぎ。俺たちは別れたけど、大学の先輩後輩で、元同僚だろ?その関係も否定する?」 

「……そんなことは、ない、けど」

「じゃあいいだろ。それともまだ俺が好きだから関わりたくないとか?」

探るような目で顔を覗き込まれて、思わず目を反らした。


「そんなことは、ない」

「じゃあ決まり。またみんなでワイワイやろうよ」


雅くんはにかっと笑って自分のスマホを差し出すと「李紅の連絡先知らないやつは集合ー」とみんなに声を掛けた。
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