行雲流水 花に嵐
「旦那って呼ばれるのは好きじゃないのよね~。あたしに旦那って、似合わないでしょ?」

「えっ……。え、ええ。あの……」

 どんな遊女でも一発で虜にしそうな美形のわりに、言葉遣いは女子のそれだ。
 このような人間に、どう対処していいのかわからず、玉乃はしどろもどろになった。

 が、依然顔は真っ赤である。
 少々変でも、それを覆い隠すほどの外見の良さに、すっかり心を奪われている。

「どうせなら、兄さんとでも呼びなさいな」

 人差し指で玉乃の顎を持ち上げる。
 ぼーっとした顔で、玉乃は小さく、はい、と呟いた。

「でもそんな長いってことは、あんたは親分の娘なの?」

「い、いえ。あのぅ、お兄さんは何もご存じなく、ここに?」

「ご存じも何も。あたし、ほとんど拉致されてきたのよ」

 別に無理やり連れてこられたわけではないのだが、何の説明もなかったのは確かだ。
 まぁ場所を聞いていなかっただけで、特別座敷なるところに行くのだろうとはわかっていたが。

「あの、ここは船宿の形を取ってますけど、実態は遊女屋なんです」

「あらそうなの。そういやそんなこと言ってたわね。親分は色町でも見世をやってるけど」

「そうなんですか」

「あ、でもあっちの見世は、あんたみたいな上玉はいないわよ」

 にこりと笑うと、玉乃も嬉しそうに微笑んだ。

「親分が粒揃えって言うのもわかるけど、何でこんなところで船宿のふりしてるのかしらね? 色町に見世があるなら、そっちでやったほうがいいんじゃないかしら」

 先の亀松の話や、それ以前に亀屋で聞いていた話から、ここは正規見世では使えない女子が集められていることはわかっているが、娘たちは自分の境遇がわかっているのだろうか。
 そこを確認すべく片桐が言うと、玉乃は少し首を傾げた。

「私は色町って知らないけど……。でも多分、ここに来るお客はいい身分のお大尽みたいだから、そういう人のお忍び用なんじゃないかな。色町に堂々と行けないっていうか」

「へぇ? ま、特別座敷っていうぐらいだからねぇ。あんたみたいな別嬪さんが相手じゃ、お大尽も蕩けるだろうよ」

「まぁ……。お兄さんも蕩けてくれる?」

 玉乃が嬉しそうに、片桐にしなだれかかった。

「もちろんよぉ。あたしは綺麗なものを好むからね」

「嬉しい。お兄さんみたいないい男、ここには来ないもの。初めて見たかも」

 べったりと腕にしがみつく玉乃の肩を抱きながら、片桐は注意深く障子の辺りを窺った。
 障子の向こうで聞き耳を立てている奴がいるかもしれない。
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