差し伸べた手
二人の世界
直は通販で購入し送られてきたパソコンを手早く設置しすぐに仕事を受注して黙々と働き始めた。

日中、亜子も通販で服を売ったりして近くでパソコン作業していたが、一人で生活していた時と変わらずいつも静かな時間が流れていた。

作業の合間に天気の良い日はデッキでコーヒーを飲んだり、時々一緒に畑に行き晩ご飯の野菜を採ったり、時にはお昼ご飯として、おにぎりを作って広大な草原で食べることもあった。

そんな時直は子供のように嬉しそうにはしゃいだ。

「ずっとこんな生活がしたい。亜子さんって幸せですね」

「こんな生活がしたくてここに来たのよ」

そう答えると直は

「そうしたくても出来ない人が多いのです。考えているだけで行動が伴わない。やりたいことがあるのに、やろうとしない。やろうとしないことに言い訳ばかりして。まさに今の自分自身です」

「そんなことないわ。私だって東京の生活に流されて自分の主張や信念を曲げて生きてきたの。最後には曲げていることさえ気付かなくなっていて。でも身体は正直ね」と遠い出来事のように笑い飛ばす。

笑い飛ばせるようになった自分が誇らしい。

「亜子も辛かったんだね」

「そんなことないわ。楽しかったのよ、東京の生活。無我夢中で仕事して、何よりもアパレル業界が好きだったし。ただ、ほんの少し器用だったら、もっと上手くいってたのかも知れない」

「そっか。僕からみたら亜子は不器用には見えないけど。とても自然体でマイペースで生活を楽しんでいる感じがする」

「良かった。東京で直に出会わなくて。とてもマイペースとは程遠い生活していたのよ。眉間にしわを寄せて、片意地張って。きつい言葉も吐いていたしね」

「想像がつかないな」

直は少年のような笑顔を見せる。

亜子はいつの間にかこの笑顔が見たくてお気に入りの場所へ案内したりもした。

一番のお気に入りはあの丘だ。

人里離れた場所で暮らしたいと考えはじめたときに、車で道内を色々巡った時に偶然見つけた場所だった。

小高い丘を登った先の景色は絶景という言葉以外見つからない。

奥に広がる森、その手前にある湖、湖の脇に立つ一本の木、何度見ても心が奪われる景色だった。

この風景を見るためにここに住んでいると言っても過言ではない。

ここに来た当初はまだ亜子の心は傷ついていて、時々呼吸が苦しくなったり眠れない日があったが、そんな日はこの景色を見に丘を登った。

そうしているうちに、心の傷は修復されていった。

この景色を直に見せたときに直は感動で震えていた。

自分と同じ感性をしていることに亜子は嬉しく思った。

その姿を見れば見るほど 「この人の心は今、傷ついている。そんな人を放り出せない」と思った。
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