神鳴様が見ているよ
1章 いつのまにかのこと
うつらうつらの意識の中、遠くから、聞えてくる会話。
「あー、理和、こんなとこで寝てるわー。蒼ー!」
「なんだよ」
「理和になんか、かけてあげてよ」
「んー」

 近づいてくる足音、ふわりと体に何かがかぶせられて、すこし冷えた体にちょうどいい温もり。
 頬の髪をすいて、耳にかけてくれる優しい指先。時折、触れる柔らかい感触も全然、眠りの邪魔をしない仕草は心地よく、されるがまま。
 耳に届く、神鳴様の雷鳴も雨音もいつのまにかの眠りに落ちて感じなくなっていく。 

 部屋が明るくなって、セミの鳴き声が聞える頃、目覚める。
 今日は、ピアノの部屋で眠っていた。目をこすりながら、起き上がると蒼が窓際で足を投げ出して座って、本を読んでいた。
 何かに気づいたように、不意に本から顔を上げて、私を見止める。
 こんなお昼寝上がりに、蒼が側にいるときは、大概、彼が上掛けをかぶせてくれている。
「蒼、上掛け、ありがとう」
 彼は、ちいさくうなずいて、微笑む。
「どーいたしまして」

 学校で、蒼を見つけたり、すれ違う時、お互い手を振る。
 友達が通り過ぎた蒼に視線を移しながら、
「蒼君って、彼女作んないの?」
 一度、それ聞いたら、すごい不機嫌そうに睨まれたから、もうしないようにしてる。
「うーん?」
「前にヨソの学校の娘が、告ってたよ」
「え、そうなんだ。モテるなぁ」
「理和は、いつも一緒だから、わかんないのよ。蒼君、カッコイイじゃない」
 それは、認める。お母さん似の細い顔つきで、目元は切れ長できりっとして、いつもクールな大人の表情をしてる。
「前に告白した娘は、誰とも、つき合うつもりないって言われたって」
「え、そうなの」
「好きな娘がいるっぽいニュアンスがあったらしい。理和、知ってる?」
「……知らない。聞いたこと、ない」
 蒼の好きなひと、好みの女の子なんて、考えたことなかった。でも、そういうひとがいたって、おかしくはない。
 そして、ふと気がついた。
 変なの、そういう話しを蒼としたことがない。蒼も私にそういうの聞いてきたことがない。
 なんでだろう。
 首をかしげて、記憶を手繰るように、視線を上にした私を友達は不思議そうに眺める。
「蒼君に興味ないんだなー、理和」
「イヤ、そんなことは、ない、ケド」
「一応、おねーさん、でしょ」
「ん、ま、一応、はね」
 一応なのは、蒼とは同い年、誕生日も私が一日早いだけのお姉さん扱いだから。実際、蒼から、一度もお姉さんと呼ばれたこともないし。
「その気になれば、結婚だってできるのよ。どうよ、蒼君」
「んー、もうずっと一緒にいるからなぁ。双子の姉弟って感じだな」
「そういうもんかー」
「うん、そういうもん」

 蒼とは同じ保育園に通っていて、そこで知り合った両親が再婚をした。
 どんなに記憶をさかのぼっても、蒼とお母さんは存在してるくらい、ずっと一緒にいる。
 保育園でも家でも、ずっと蒼と一緒にいた。知らないうちに姿を見失うとお互い探し合って。
 おばあさんのピアノの部屋。
 ピアノの蓋を開けて、一音鳴らして、椅子に座る。
一回ノックの後、返事を待たずにドアが開く。そちらに顔を向けると、蒼が、ドアから顔だけ出していた。
「見てていい? 理和ちゃん」
 のぞき見してるような仕草。蒼を見て、はじけるように笑う。
「うん、蒼君、おいでっ」
 彼は、持ってきた椅子に飛び乗るように座り、
「ピアノ弾いてる理和ちゃん、好き」
 彼のニコニコ笑顔が大好きでつられて、私もいつもニコニコ。
「えへへ」
 いつものやりとり。いつから始まったのか、もう忘れてしまうくらい遠い。
 いつのまにか、『ちゃん』と『君』が無くなって、お互い、呼び捨てで呼び合うようになって。
 どこの姉弟とも同じように。
 いつのまにか。
 お風呂も、着替えもひとりになって。
 一緒の部屋で寝起きしてたのが、別々の部屋になって。
 そうして、蒼とすこし、よそよそしくなってくると、
「ちょっと前まで、あんなにベタベタくっついてたのに」
 母や父の言葉で蒼と目を合わせて、お互い照れくさそうに、苦笑いをしたり。
 ピアノを聴くときの蒼は椅子の座り方が変わった。椅子の背を私の方に向けて、背を抱えるように座る。 
 足を投げ出して座るのは、身長が伸びきて、このほうが楽だから、らしい。
「足が長いもんで、さ」
「ナマイキ!」
 本当に、あっという間に大きくなっていく。身長、追い越されたな、と思ったら、体のどのパーツも、私より、大きく長く、なっていった。
 私なんか、丸ごと包み込まれてしまいそうなくらいに。
 いつのまにか。
 
 今は亡くなった祖母がこの家で、ピアノ教室をやっていたことがあって、ピアノの部屋がある。
 ピアニストを目指すことはなかったけど、ピアノを弾くことが好きで祖母に教えてもらった。今では、自分で好きな曲をアレンジして奏でるのが、趣味になっている。
 ピアノの蓋を開けて、一音鳴らして、椅子に座る。
 楽譜をめくっていると、一回ノックの後、返事を待たずにドアが開く。
 そちらに顔を向けると、蒼が、ドアから顔だけ出していた。
「見ていい? 理和」
「うん、どうぞー」
 彼は、持ってきた椅子の背を私の方に向けて、背を抱えるように座り、足を投げ出す。
「ピアノ弾いてる理和、見るの、好き」
『好き』という言葉に反応して、笑顔の彼を見て、同じように微笑むのは、いつものやりとり。  
 でも、すぐに、鍵盤に視線を移す。
 いつだったか、蒼とそのまま、見つめ合ってしまって、動けなくなった。
 それは、ほんの、ひとときだったと思うけど、とても長く感じていた。
 そのとき、前触れもなく、ピッシャーンと渇いた音の雷鳴。お互い、ビクッと体をはじかせて、顔をそらした。
 思わず胸を押さえた。
 心臓が、止まっていたような気がした。息も忘れていたように、慌てて、短く吸い込む。
 とくとくと、止まっていた血液が急に流れるような早い鼓動は、雷鳴に驚いたせいなのか、なにかの緊張から解放されたせいなのか、わからないまま。
 次に、同じようなことになったら、どうしたらいいのか、わからないから、蒼から、瞳を外してしまうようになった。
 いつのまにか。
 聴こえないけど、蒼の声が聴こえた気がして、振り返ったり、顔を上げると、蒼の視線がある。
 不思議なことと思って、蒼を見つめて首をかしげると、彼は、瞬きをして、ほっと息をつくように、肩を下げる。
 ひととき、見つめ合って、同時に視線を外すのも、いつのまにかの、こと。


 高校からは別々のところに通っていた。
 ある日、蒼が友達を家に連れてきて、母が留守だったから、私が、彼の部屋にお茶を持っていった。
 ノックして、出てきた蒼にお盆を手渡す。
「ありがと」
 ちらっと、部屋の奥に視線を送ると、蒼と同じ制服の男の子がいた。知らない顔、高校からの知り合いということ。
 蒼の背中に、声がかかる。
「え、蒼、そちらはどなただよ。きょうだい?」
 一瞬、蒼が眉をしかめて、後ろに振り返る。
「だよ」
「あ、姉です、こんにちわ」
「お姉さんかー、蒼、そんなんいること、話したことないじゃん」
「必要なかったからだろ」
 私に顔を戻したときの蒼の表情は、瞳を細めて不機嫌そう。そして、そっと、肩を押される。
「もう、閉めるぞ」
「う、うん」
 なんとなく、早く行けと追い払われた気がした。

 友達が帰ったあと、お盆を戻しに来た蒼が、
「姉なんて、言うなよ」
 私を見ないで話し出し、使ったものを流しに置いている。
「でも、一応、姉だし、他に言いようがないから」
「それが、すぐ出てくることが、イヤなんだよ。義理の姉弟です、でいいだろ」
「あ、そうなのか」
 蒼は、視線を前に、どこも見ていない、ぼんやりとした表情をしている。
「もしくは、俺のカノジョって言っとけ」
 ポンと手を叩くと、ようやく、私の方に視線を向けた。
「あっ、そういう冗談でも、いいわね。ウケそう」
 一瞬、蒼の瞳が揺れて、そのまま、床を見るように、首を折って、はっと一笑いした。
「……そうだな」
< 2 / 20 >

この作品をシェア

pagetop