いつも、雨
恭匡(やすまさ)には、あまりハッキリは聞こえなかったが、
「頼む」
と言っていた気がする。




要人(かなと)は、力強くうなずいて、恭風(やすかぜ)に約束した。

「かつて大奥さまにもお約束しました。ご安心ください。天花寺(てんげいじ)家も、恭匡さまも、百合子さまも、領子(えりこ)さまも、私がお守りします。」


……正直、その時、恭匡は鼻白んだ。

涙ぐんでいた百合子もまた、憮然とした。


しかし、領子はハンカチをもみ絞り、嗚咽し、ソファに崩れ落ちた。



そもそも身内だけの臨終の場に、要人がいること自体がおかしいのだが……今さらだろう。



恭風本人が要人の手を絶対に放そうとしなかった……が……それでも、次第に恭風の指に力が入らなくなった。

今度は、要人が恭風の手をぎゅっと握った。


苦しそうな恭風の口元が緩んだ。


そうしてそのまま……。


ふいっ……とかすかな笛のような音を漏らして、恭風の息は途絶えた。




医師が死亡を確認し、告げた。



領子は、よろよろとソファから立ち上がり、ベッドに近づくと恭風の手を握ってさめざめと涙をこぼした。

震える肩を抱いてやることも出来ず、要人もまた、こうべを垂れて嗚咽した。


百合子もまた、母の領子の隣に立ち、恭風の死に顔を見つめて泣きじゃくった。



でも、独り、恭匡は泣かなかった。

悲しくないわけがない。

でも、悲しいという当たり前の感情が、鈍ってしまっているのかも知れない。

心が空っぽになってしまったようだ。


恭匡は、何となく窓を見た。

大粒の雨がガラスを打っている。


いつの間に降り出したのだろう。

さっきまで晴れていたのに。

こんな時期に、夕立ちでもあるまいに……。



ぼんやりと雨を見ている恭匡に気づいて、要人が慌てて身を引いた。



誰よりも恭匡さまを尊重し、盛りたてていかなければいけないのに……僭越だったか……。



要人は涙を拭いて、病室を出た。

待機していた秘書の原に、恭風の死を告げた。



そして恭風本人と立てていた計画通り、葬儀の準備に取り掛かった。
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