いつも、雨
領子は、するりと要人から身をかわすと、無言で個室を出て行ってしまった。



……大丈夫だ……。

これで終わりではない。

領子さまは「我慢」とおっしゃった。

少し時間をあければ、落ち着かれるだろう……。

大丈夫だ……。

これは、終わりではない。

俺が、終わらせはしない。

絶対に。



要人は自分にそう言い聞かせた。



追いかけたいのを堪えて、拳を握り……腹立ち紛れに、戸を殴った。



心が落ち着くのを待って、要人は何食わぬ顔で女性用トイレから出た。

すぐ近くで秘書の原がケーキの箱を携えて立っていた。


「奥さまから預かって参りました。」

ばつが悪くて憮然としている要人に対して、原は何もつっこむことはなかった。

しかしエレベーターホールで、要人の右手が赤く腫れてきていることに気づいた。

一夫の病室の少し手前で、原はケーキを要人に手渡すと、うやうやしく頭を下げた。


「では、お見舞いが終わられましたらご連絡ください。……湿布薬を買って参ります。」

「大袈裟だな。これぐらいどうってことない……。」


そうは言ってみたものの、思った以上に拳が腫れ始めていることに、要人自身ぎょっとした。


「……すまない。頼む。」

要人はそう言い置いて、一夫の病室へと向かった。






一夫は、ベッドではなく応接ソファーに座って要人を待っていた。

「社長。お忙しいのに、すんません。」

慌ててそう言って立ち上がろうとした一夫を、要人は手で座るように指示した。

「いや、お気遣いなく。……大変でしたね……。」


持参したケーキの箱を一夫に手渡してから、要人は長椅子を避けて1人掛けのソファに腰をおろした。

思うところは多々あるものの、領子の夫の一夫よりも上席に座るわけにはいかない。


一夫は、弱々しく苦笑した。

「……参りましたわ。ほんま。のたうち回りました。」


見舞いに来た佐那子にも、……ずっと付き添っていた妻の領子にも見せなかった神妙な姿だった。


背中を丸めて、強がりの仮面をはずした一夫は、小熊のようにいじらしく見えた。



「今は、薬で?」

わずか数日でげっそり痩せて、白髪が急増したようだが、特に痛がる様子はない。

点滴もつながってないところをみると、今は落ち着いているのだろう。
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