小倉ひとつ。
その後、帰り際に電話がかかってきた。相手は例の部下さんらしい。


「よかった。電話ありがとう」


再び私に許可を取ってから電話に出た瀧川さんは、「ん? ……いや、大丈夫だよ」と優しく笑った。

多分、お休みの日にすみません、というような謝罪があったのだろうと思われた。


「気をつけて帰って。うん。うん。お疲れさま」


一拍置いてから電話を切って、何度もすみません、と笑った瀧川さんに、余計に苦しくなる。


「いいえ、そんな。お疲れさまです」

「恐れ入ります」

「っ」


ありがとうございます、じゃないことに、勝手に胸が痛んだ。


……私なら、ありがとうございますって言ってしまう。


接客中はいつも、必死に言葉を取り繕ってはいるけれど、いまだに「かしこまりました」とか「承りました」とかは言葉を選ばないと出てこない。


こんなに自然に「恐れ入ります」が出てくるほど、大人と接していない。機会がない。


一拍置いてから電話を切らないと失礼になる、時と場合によるけれど、できれば相手が切るのを待つってことさえ、言われるまで知らなかったくらい。


家族だとそんな心配りは意識しないし、友達と電話で話すなんて滅多にないし、家にかかってきた電話は、知っている相手でない限り、防犯の都合上、出ないようにと両親から言い含められていた。

私はそもそも、お電話するのが本当に苦手で、別の連絡手段を使うことが多い。


瀧川さんは気軽に話しているように見えて、その仕草はちゃんと社会人のものだ。
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