小倉ひとつ。
不安になりつつ待ってみたけれど、しばらくしてからようやくこちらを向いてくれた瀧川さんは、「すみません、失礼しました。なんでもありません」と静かに首を振った。


ええと……?


よく分からなかったけれど、おそらく詳しく聞くべきではないのは分かる。


何も聞かずに「それでは少々お待ちくださいませ」と一旦失礼しておいた。


「稲中さん、瀧川さんご案内しました」

「はあい。準備しておいたよ」


稲中さんに声をかけると、こちらを振り向いて奥を示してくれた。


大変ありがたいことに、僕がお湯沸かしておくから焦らずにご案内しておいでね、と稲中さんに言われていたので、そわそわはしたけれど、ばたばたしないで済んだ。


「ありがとうございます、お手数おかけしてすみません。わ、お茶碗素敵ですね……!」


お湯だけではなくて、お茶碗とか茶せんとか、お盆の上に一式用意してくださったらしい。


お茶碗は普段使いのものではなくて、季節の特別なものだった。


「うん、かおりちゃんお祝いって言ってたから。素敵に点てて差し上げてね」

「はい」


慎重に抹茶を掬う。瀧川さんがお好きな量はこのくらい。よし。


できるだけ丁寧に綺麗に手早く点てて、小倉たい焼きとともにお座敷に失礼する。


瀧川さんは上着を脱いでくつろぎつつ、色づき始めた窓の外を眺めていた。


「お待たせしました」

「いいえ」


一礼して顔を上げると、今度は確かに目が合った。よかった。


瀧川さんは普段なら必ず目を合わせてくれる。


美しい瞳は相変わらず美しく、差し込んだ木漏れ日に照らされて少し明るんでいた。
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