物語はどこまでも!
「ハッピーエンド」
そう、口にした。
端的に、ただそれだけ。“それだけなんだよ”と、ウィルは続ける。
「この絵本(お話)はね、ひどい物語なんだ。たくさんのモノたちが悲しみ、死んでしまう」
ハーメルンの笛吹き男。
繁殖したネズミたちの被害に悩まされていたハーメルンの街の人たちのもとに、笛吹きの男がやってきた。
男は報酬を払うならばネズミたちを追っ払ってやると、街の人に言い、街の人はそれに頷いた。
男は笛を吹き、街のネズミ集め、森の湖に沈めさせた。街の人との約束を果たしたが、街の人は約束を破った。
怒った男はあくる日、街の子供たちもまたネズミたちと同じように笛の音色で連れ去り、湖にーー
この絵本の内容はそうだ。ウィルの言うとおりに悲しい物語でしかないが。
「絵本というおとぎ話の中でどうしてこんな物語があるのか、不思議でしょうがないよ。この絵本の原点となったものには、もっとマシな話になっていたのか、僕に知るすべはないけどね。この絵本を書いた作者を憎むよ。『おとぎ話ならば、みんな幸せになるべきだ』とね」
元来、童話というのは残酷なものが多い。それを現代の書物(絵本)として発刊するにあまり脚色や改竄を果て、『めでたしめでたし』で終わるものも多いけど、中にはこの絵本のように悲しい話のままであるものも多い。
悲劇の物語。
喜劇や感動だけで涙が産まれるのではなく、純粋な悲劇もまた人々の胸を打つこともあるんだ。
求められる悲劇(バッドエンド)。
その中にいる住人の叫びまでは読者に届かなかった。
「僕らは役者だ。決められたストーリーを演じるための。知性豊かな王様も民を笑わせる愚者となり、気の弱い王子も怪物に立ち向かい、慈愛深い妃も我が子を谷底に落とす。やりたくないやりたくないやりたくない、のに……!僕らの人生は既に“完結してしまっているんだ”!始まりも終わりも決まっている中で生きていくしかない!」
既に、笑顔は消え失せていた。
悲痛たる叫びこそが悲劇に違いないはずなのに、これが物語ではなく現実となれば“見ていられない”。
「やっぱり、雪木ちゃんも可哀想だと思ってくれるか。なら、協力してくれるよね?」
私の表情を受け取ったウィルは、こちらに手を伸ばしてきた。
『おいで』というよりは、『さあ』と促すように。
「セーレに言ってくれ。愛する君の願いなら聞いてくれるだろう。『現実の世界へ、連れて行ってほしい』と」
ハッピーエンドへの道を作れとウィルは言うが、先ほどからそれを聞いていた彼は「ふざけるな」と吐き捨てるように言った。
「俺を万能か何かと勘違いしているようだが、お前を現実世界に送れるわけがない!お前たちは絵本の中の住人たちだ。住人たちだけでなく、この世界の物全ては雪木たちの世界に存在など出来ない!送った瞬間にお前は……!」
「消えるから、送れない?」
「……っ!」