物語はどこまでも!
「いつも、『物語の先へ行け』と言っていた奴が初めて自分の想いを口にした。けどね、それは僕の思い違いだと悟ったんだ。最初からあれは、ただ自分の願いを言っていただけなんだ。それに触発されて動いた住人たちが栄養源になっていたのかもしれないが、成長してもあれの言うことはーー願いは代わらない」
水面が、草木が、大地が、揺らぐ。
洞窟の奥ーー闇から出て来たのは光に照らされようとも染まることない暗黒。
人の大きさがちっぽけに思える巨体は、白雪姫の物語で出会ったもの以上。
怪物ときたら、次は怪獣か。鎌首をもたげ、それは吠えた。
「『物語(あちら)の先(せかい)に行きたい』、叶わないならば死んでも構わない哀れな生き物なんだよ。だからこそ、そそのかすのは簡単だった。僕に従えば、連れて行ってやるぞ、とね」
文字にならない咆哮をウィルは代弁するかのように答えた。
「あなたは、いったい、なにを……」
「それも最初から言っている、ハッピーエンドだよ。そちらの世界の聖霊『ブック』に奇跡を起こしてほしいんだ。そうだなぁ、『笛吹き男は街のネズミたちを踊らせ、街のみんなと幸せに暮らしましたとさ』なんて物語がいい」
「そんなこと、聖霊『ブック』が……!」
「出来るわけがない?それとも、叶えてくれるわけがない?」
言葉に詰まったのは、後者だったからだ。
聖霊。人々に奇跡を起こしてくれる存在。
そのおかげで、人間社会は豊かになりみんなが幸せになっているんだ。
聖霊がいない世界では、数え切れないほどの不幸な死が毎日のようにあって、途方もないほどの争いが続いていたという。
人々が真の平和を謡いながら、心では誰かを憎むそんな歪んだ世界(シナリオ)を変えてくれたのが聖霊。
奇跡という現実の理不尽(シナリオ)に左右されない改竄をもって、世界を変えてくれた。
上位聖霊たるものに願い事をすれば、きっと叶えてくれるだろう。しかしてーー
「そんなことをすれば、全ての悲劇(物語)を変えなければならなくなる!」
幸せに平等はつきものだ。
天秤が傾くからこそ、均衡が崩れる。
過分なく、平等なる幸せを与えてきたからこそ今の現実社会があるんだ。
その均衡を自ら壊す真似を、上位聖霊たちはしない。だからせめて、心を持った住人たちが幸せに暮らせるように図書館(わたしたち)がいるんだ。
「知っているよ、聖霊『ブック』はとても残酷だと。最上の幸福も、終わりも許さないわりに、中途半端に君たちを寄越して幸せにしてあげようだなんて、虫酸が走る善人だ。中途半端な善人だからこそ、取り引き出来るんだよ」
黒い怪物たちが、ざわざわと囁き始める。
『先へ先へ』と。
「まさか、セーレさんに道を繋げようとさせたのは」
「そうだよ、こいつらを送るためだ。セーレは僕が行くと勘違いしていたみたいだけど、安心してほしい。僕は消えない。人質が一人だけでは聞いてくれそうにないからね。絵本の住人全てを人質に取ったところで意味はない。一人でも殺せば物語は僕ごと消えてしまうから。聖霊『ブック』がいる世界に行って直接取り引きも出来ないけど、こいつらは違う。成長したあいつが教えてくれてね。自分たちは『物語の先へ行ける』と。何をしに行くのかまでは教えてくれないけど、こんな奴ら君たちの世界に行ったら大事になるだろうね。
中途半端な善人だ、きっと何とかしようとするに違いない。雪木ちゃんには伝言役になってもらうよ、聖霊『ブック』に伝えてくれ。僕の望みを叶えない限り、いくらでも怪物をそちらに送ると。道さえ繋いで貰えれば、セーレも帰っていいよ。この周回が終わらない限り君の能力は使えず、繋げた道は閉じられない。ごらんの通り僕は物語を進ませる気は毛頭ないしね」
「ふざけるなよ!物語が停滞すれば、崩壊だ!お前が言うハッピーエンドを目指す前、に……」
言いながら、彼だけではなく私も気付いた。
「どっちが先かな。ハッピーエンドか、デッドエンドか」
叶わないならば全てを終わらせる。
最初からウィルは、このために。
「そんなことをすればーー!」
続きを声に出せなかったのは、喉を絞められたからだった。
息が止まるくせに、頭が風船にでもなったかのような。血液が沸き立ち、一気に引く。目の前が混濁する瞬間にーー解放された。
なんで、と思わなかった。