今夜、きみを迎えに行く。
「あの、質問があるんですけど」
カウンターの中。隣でスツールに座ってくるくるとまわっているトミーさんに向かって、グラスを磨きながらわたしは言った。
店にはお客さんはいない。静かな音量でジャズのレコードがかかっていて、たぶんものすごく昔の曲なのだろうけれど、わたしはそれを、なんだかわからないけれど胸にずっしりと来る感じがいいなと思いながら聞いていた。
「質問?なに?」
トミーさんの回転が止まる。トミーさんはなぜだかわたしが話しかけるとすごく嬉しそうな顔をする。目尻の皺が深くなって、とても優しい顔になる。
「このお店、名前はないんですか」
ずっと気になっていたことだった。小さな木のプレートがかかっているだけで、看板がないからお客さんも来ないんじゃないのか。
それで良いのだろうかとずっと疑問に思っていた。
「あるよ」
トミーさんは答える。やっぱり少し嬉しそうに。
名前、あったんだ。
「あるんですか?どうして看板出さないんですか」
「看板、ねぇ」
トミーさんはうーんと首を捻っている。
「名前、なんていうんですか」
「ブランカ」
なんだかとても、愛おしそうに、まるで恋人の名前を呼ぶみたいにそう答えて、トミーさんは天井を仰ぐように見た。
「…ブランカ?…喫茶ブランカ…?」
「そう、ブランカ。ブランカは、白いって意味だ。ぼくの、母親だった人の名前」
トミーさんは、やっぱり微笑んでいた。だけど、優しい目尻の皺が少し悲しそうに見えるのは気のせいだろうか。