イケメン双子と、もれなく『腐』の付く残念女子と。
だがそれも、妻の四十九日法要が済むと、また家を空けるようになった。
もともとワーカホリック気味の父ではあるが、それでも父は父なりに家族を想ってはいるのだ。
夫は妻を愛し、妻は夫を慕う。そしてふたりは子を寵愛した。
だが父の愛は、妻と子だけにあらず。帰らず詰めるアトリエにもまた、父の愛を受ける女性がいたのである。
妻は夫の不貞に気づいてはいたが、其れに目を背けた。暗黙の了解で進む、歪なる愛の形は、父を妻の夢を叶えたこの家から遠ざけたのである。
母が女として、父に真っ向から対峙していれば、あるいは状況は変わっていたのかもしれない。
父は、母が何も言わないことに、妬心を剥き出しにされなかったことに、寂寥感を感じていたのである。
――もっと己に独占欲を示して欲しい。
勝手な言い分ではあるが、それが純粋なる気持ちである。
男とは、自身の大切なものには強い独占欲を見せる。逆に相手から独占欲を向けられても、己の充実感と支配欲が刺激され、結果、自尊心が満たされるのである。
だが男の心理は難解であり、追われると逃げたくなるのだ。追われるよりも、とこしえに追っていたい生き物なのである。