冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
*

「司教様、お出かけですか?」
「これから城下のミサに出るところだよ」

 水を汲んだ桶を足元に置き薔薇園の中を覗くと、祭服を着た司教様がちょうど緑の入り口に向かってくるところだった。

「あの、薔薇を数本いただきたいのですが」
「ああ、構わないよ。はさみなら奥の納屋にある。ディオン様にお届けかな?」
「はい」

 言わずもがな、フィリーナがディオンの世話をしていることを知っている司教は快く薔薇を譲ってくれるようだ。

「具合はどうだね?」
「はい、まだお熱が高くて……」
「そうか。熱は治癒への近道だ。きっともうすぐお目覚めになるよ」
「はい……」

 優しくて大らかな掌が、そっとフィリーナの頭に乗せられる。
 大丈夫、大丈夫だと心の中で信じてはいても、やっぱり不安なところがあったらしく、司教の寛大なる温かさに、涙が滲んでしまった。

「たくさん持って行ってさし上げるといい。ディオン様は本当に薔薇の香りがお好きだから」
「はい、ありがとうございます」

 鼻の奥が痛み、少しすすってから、司教に笑顔を向ける。
 ディオンが薔薇を愛でる姿を想像して、胸がぎゅっと苦しくなった。
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