冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
*


「ディオン様がお戻りになられたぞ!」

 先に戻っていた空の荷馬車から遅れること数日。
 従者とともに、黒馬に乗ったディオン王太子が帰還した。
 門扉の内に並ぶ使用人に紛れ、フィリーナの心臓は耐え切れないような早鐘を打っていた。

――ついに、お戻りになられてしまった……
 この日が来なければ、何事もなく日々が過ぎていくだけだったのに。
 そして、私はずっと、まろやかな声に甘やかされ続けていられた……

 前々から決まっていた晩餐会までは、ひと月もない。
 機会なら、何度もあるだろう。

 黒馬を従者に引き継ぎ、出迎えたグレイスと難しい顔で話をしながら王宮へと入っていく漆黒のマント。
 ディオン王太子の姿をいつも以上に直視できないのは、フィリーナの中にまだかろうじて良心が頑なに居座っているからだ。
 まろやかな声に従順になり、甘い蜜の中に良心ごと完全に溶け込むことができていれば、すぐにでも事を実行するに違いない。
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