冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
「それは初耳だな」

 はっとした時には遅く、ディオン王太子はまた興味が湧いたように、首を傾げて何かを考えているようだった。

「ウィリアム公爵のところの娘か……それともニエト国の第二王女か……」

 口元をかすかに緩められるそこには、嬉し気な感情が見てとれた。
 誰それと思案するディオン王太子の姿に、フィリーナはあわあわとうろたえる。

 ――な、なんてこと……っ
 自分の心が苦しいからと、グレイス様の密なる心を暴露してしまうなんて……!

 しかも、お相手はディオン王太子の婚約者なのにだ。
 誰にも言わないでほしいというグレイスの困り顔が、懐かしく思い出される。
 ついさっき聞いた冷たい声と、あのときの感情の差にまた胸が痛み、かばうように胸元のエプロンを掴んだ手の甲がひりついた。

「ああ、不快な思いをさせてしまったようだ、申し訳ない」

 あまり表情を崩さずいつだって毅然としている方からの突然の謝罪に、フィリーナは逆に申し訳なさを噴き出させる。
 見上げた漆黒の瞳が、フィリーナの心をそこに取り込んでしまいそうで、痛んでいた胸がどきりと音を鳴らした。
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