冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
「ディオン様」

 フィリーナから視線を外させたのは、ディオン王太子の後方から現れた従者のダウリスだ。

「医師団要請の件、書簡を作成いたしましたのでご署名をいただきたく」
「わかった、すぐに行こう」

 漆黒の瞳からの解放に、ほ、と胸が息をつく。

「娘、……フィリーナと言ったか」
「は、はいっ」

そう思ったのも束の間、澄んだ声がフィリーナを呼び、力を抜きかけた背筋をピンと伸ばした。

「今の件、誰にも話したりなどしないから安心しろ。君にも都合があるだろう」
「は、はい……ありがとうございます」
「引き留めて悪かった。仕事を続けて」
「とんでもございません」

 再び深く頭を下げると、二人は難しい話をしながら去って行く。
 不意に脱力する身体はワゴンに預けなければいけないほど、次期国王となる高貴なお方から解き放たれた緊張感はとてつもないものだったらしい。
< 85 / 365 >

この作品をシェア

pagetop