冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
「君は、本当に好きなのだな、グレイスのことが」
「……、……はい」

 心臓が大きく脈を打ち、フィリーナもまた自分の気持ちを心に確めながら、うなずいた。

 顔が熱い。
 すでに砕けてしまっている心のかけらは、必死に胸の中に留まろうとしている。
 グレイスを想うと、ほんのかけらでさえ胸を熱くたぎらせた。
 真っ直ぐに見つめてくる漆黒の瞳が、滲む視界の中でわずかに細められる。
 口端は真横に引かれたままだが、フィリーナにはディオンが優しく笑んでいるように見えた。

「そうか。
 君のような純真な娘とと結ばれれば、とは思っていたが、あれが心から想うのがどんな相手なのか、訊くのは野暮というものだろう」

 ディオン王太子はとても寛容な人だ、とフィリーナは思う。
 それでもやはり、レティシア姫のことは口にできないし、グレイスの悪しき思惑も伝えるべきではないと強く思う。

「手の方はもう大丈夫のようだな」
「もったいないお言葉です……その節は大変な失礼をいたしました。
 それで、あの――……」
 
丁寧に頭を下げ、先日訊かれたことに考え抜いた言い訳を言おうとすると、

「今はまだ、何も言う必要はない」

ディオンはフィリーナの言葉を続かせなかった。
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