黒き魔物にくちづけを
エレノアは素早く居間を横切ると、掛けてある濃緑の外套を手に取る。この前人間達に遭遇した時に着ていたものとは別のものだ。それをすっぽりと被れば、彼女のかんばせは布の陰に隠れてしまった。

「こうして顔を見せなければ私が森から来たってばれないわ」

それからラザレスの寝ている部屋に戻ったエレノアは、例の青く変色した矢尻を布に包んで外套のポケットに入れる。これを見せれば、あの研究者ならどんな毒が盛られたのか分かるだろうと踏んでの行動だ。

「……えーのあ」

「ビルド、私を街まで連れてって頂戴」

自分と同じ色をもつくりりとした瞳をまっすぐに見つめてそう頼むと、カラスは戸惑ったようにエレノアを見上げてきた。

「デモ……ほんとに、いくノ?」

「行くわ。私は本気よ」

「えれぬーがそういうなら……ワカッタ」

まだ不安そうなビルドは、けれどエレノアの本気を感じ取ると躊躇いがちに頷いてくれた。

「ありがとう。じゃあこのまま行きましょう。日が暮れる前に用事を済ませましょう」

そう言って、エレノアとビルドが屋敷の外に出ようとした刹那のこと。ぐい、と、何かが彼女の動きを阻んだ。

後ろから外套を引っ張られたのだと気付くと同時、微かな声が部屋に響いた。

「い……く、な」

阻んだ手はラザレスだった。毒に侵され意識を失っていたはずのラザレスが、縋るように彼女の外套を握っていたのだ。

一瞬意識を取り戻したのかと思ったが、その額には脂汗が浮かんでいて呼吸も荒い。言葉も不明瞭で、まだ混濁状態にあるはずなのに──彼はうわ言のように「行くな」と、エレノアを止めているのだった。

「……っ」

エレノアは息を止める。それから、ゆっくりと膝をついて彼の手から外套を外し、その指を自らの両手で包み込んだ。

「大丈夫。薬を貰ったらすぐに帰ってくるわ。絶対帰ってくるって、約束するから。……だから、少しだけ待っていて」

眉根を寄せて苦悶の表情を浮かべているラザレスに、その言葉が届いているかどうかは分からない。けれどエレノアは心を込めてそう言って、それから握っていた手を戻してゆっくりと立ち上がった。

「……絶対、帰ってくるわ」

呟くように、もしくは自分自身に誓うようにそう言って──エレノアはビルドと共に部屋を後にした。
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