黒き魔物にくちづけを
水を飲み終えた彼女は、バケツを戻して部屋へと帰る。どうせ深くは眠れないだろうが、布団の中にいるのが一番だろう。きっと明日も動き回るのだから。
深く眠れなくなったのはいつからだろう、と彼女はため息をこぼす。今日だってものすごく動き回ったのだから、身体は疲れているはずだ。それでも夜中に起きてしまう程度には、浅い眠りにしかつけていない。
(……眠らなくても良ければ、楽なのに)
そんなとりとめのないことを考え続けながら、彼女はそっと屋敷の扉を開けて中に入った。出かけて行ったままの魔物は戻ってきていないかもしれないし、カラスだって眠っているかはわからないのだけど、なるべく足音をたてぬようにと進もうとした、その時だった。
「……う……!」
突然、どこかの部屋から微かに聞こえてきた、苦悶するような唸り声。そして、ガタンガタンという物音。
「……え?」
エレノアは思わず身を固くして、辺りを見渡す。声は、奥の方から聞こえてくる。
一瞬泥棒か何かかと思ったのだが、ここがどこかを思い出してそれはないかと思い直す。ならば、あれは何なのだろう。
首を傾げている間にも、物音は続いている。とりあえず音の方向を目指して、彼女は足を進めた。
(あら?この部屋……)
そうして辿りついたのは、一階の一番奥の角部屋だ。唸るような声は、この薄い扉の向こうから響いてくる。
そこは、昼間に魔物が自分の部屋だと言っていた場所だった。カラスが使っているのは二階、とも言われているし、やはりいるのは魔物で間違いない。冷静に考えればこの屋敷にいるのは彼らだけなのだから、音の正体もおのずとそういうことになる。
出かけたっきり結局エレノアが眠る刻限になっても帰って来なかった魔物が帰ってきたのだろうか。けれど、眠る支度をしているにしては響く物音が異様だ。
「ねえ、大丈夫……?」
とりあえず確認しよう、と、エレノアは控えめなノックとともに声をかける。……けれどやはり、返事はない。
「……うっ!っあ……!」
それどころか、聞こえてくる唸り声はますます苦しげなものに変わってくる。いよいよ心配になったエレノアは、仕方ないかとドアノブに手をかけた。