次期国王は初恋妻に溺れ死ぬなら本望である
目の前でディルが笑っていることが、すぐには信じられなかった。幻を見ているような思いだ。
「あぁ、血が‥‥」
ディルの頬にはうっすらと血が滲んでいた。プリシラをかばって、割れた壺の破片を受けたせいだろう。プリシラは指先でそっと傷口に触れた。ディルのあたたかな体温を感じて、ようやく彼が現実に隣にいることを実感できた。

「もうっ。ディルは夜中に忍び込んでくるばっかりね。普通に登場できないの?」
「今回ばかりは俺のせいじゃないだろ」
ふたりは顔を見合わせて、笑いあった。

ディルは用事を済ませてユーレナを出ようとしていたところで伝令を受けて、ロベルト公爵やプリシラの状況を知った。
「俺にも至急王宮に戻るようにとの命だったが、一度戻ったら自由には動けないと思って直接こっちに来ることにした」
「そうなの‥‥ん?門番の兵たちはディルに気がつかなかったの?」
浮かれて騒いでいて見逃したのだろうか。だとすれば、あまりにも情けないが。
「いや。正々堂々と挨拶して入ってきた」
「どういうこと?」
ディルは苦笑して答える。
「本当はかっこよく岩壁を登って侵入するつもりだったんだが‥‥あいつらはならず者の雇われ兵士のようだったから作戦変更した」
「どうしたの?」
「賄賂を贈った」
「ーーそれは、たしかにかっこよくないわねぇ」
「ついでに告白すると、賄賂は結婚式でお前にもらった指輪についてたエメラルドだ。全員で山分けしても、数年は遊んで暮らせるだろうな」
ディルは悪びれるふうもなく、あっけらかんと白状した。
「別にいいけど‥‥いいんだけど‥‥一応、あれは誓いの意味がこめられてるんじゃ」
夫が結婚指輪をポイと他人に譲ってしまって喜ぶ妻はいないだろう。プリシラとしては複雑な気持ちだ。
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