Sの陥落、Mの発症
ところで重要なことを一つ忘れていた。

結局、私たちは付き合うことになったの?

そんな疑問が沸いたのは週明けの月曜日、出勤してデスクに向かう途中、爽やかな表情で「おはようございます、中條課長」と佐野くんに声をかけられた時だった。

なんでそういう大事な話をこの間しなかったんだろう。

そう思ったものの、あの日の朝はいつも通り佐野くんに振り回され、そんなことを考える余裕もなかった。

昨日も特に連絡があったわけじゃない。
お互いにそれらしいことは言ったような気はするけど、決定的な言葉は言わなかった。

これってどういう状態…?

ちらりと佐野くんに視線を向けてみるもパソコンに向かって作業している彼は気付くはずもなく、自分もパソコンを開いてメールチェックを始めた。

しばらくデスクワークに取り掛かっていると狭山くんが近付いてくるのが見えて顔を上げる。

「課長、夏の買い回り企画の件なんですが、いくつか候補出したので見てもらえますか。良ければ企画販売部に出すつもりなんですけど」
「分かった。…うん、ぱっと見た感じどれも行けそうね」
「ありがとうございます」
「あ、ちょっと待って。先に軽く企画の方に私から話したいんだけど、資料借りていい?」
「はい、よろしくお願いします」

企画販売部、と聞いて今更ながら樫岡くんになんのフォローもしていないことに気付いた。

金曜日食事に行って、一度はあんな雰囲気にしておきながらあんなことになったまま。
思い出すと居たたまれない気持ちに襲われる。
あまりにひどい扱いだ。
せめて直接謝ろうと部下の仕事を口実に企画販売部へ向かうことにする。

樫岡くんへの罪悪感に苛まれてフロアを出るときに佐野くんの視線が自分に向かっていたことなど気付きもしなかった。

企画販売部のフロアは6階の営業部のちょうど真上だ。
エレベーターホールをちらりと見ると2機とも階下に降りていた。階段の方が早いと非常階段の扉を開けて上り始める。
折り返したところでガチャリと扉が開く音が鳴り、顔を上げるとそこに居たのは樫岡くんだった。

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