Sの陥落、Mの発症
「では、丸井くんの歓迎と近藤さんへ感謝の気持ちを込めて、乾杯~!!」
会社近くの居酒屋、営業二課の面々と三月で異動になったメンバーを含めて歓送迎会が行われた。
結局七時に始まった宴会に彼の姿はなかった。
ほっとしたようなちょっと罪悪感を覚えるような複雑な心境を誤魔化すようにビールのグラスをあおる。
「課長ペース早いっすね」
「週末だしね、飲みたい気分なの」
「お次ぎします!」
「ふふ、ありがと」
まだ新メンバーとなって走り出したばかりだけど良い課だと思う。
みんな若くてやる気があるし、私の他に唯一の女性である課のセクレタリーの村山さんもこの飲み会の雰囲気を見る限り上手くやっているみたいだし。
なんとなく家族の話から村山さんの子供の話で盛り上がっていた。私より若いのにもう結婚して子供がいる。
この仕事が好きで誰より必死に取り組んだし、その成果としての今の役職がある。
役職に就くことと家庭を持つことは同列じゃないし優劣のつく話でもない。
それでも、振り替えれば五年はまともに恋人がいない現状に寂しさがないとは言えない。
ため息を紛らわせるために飲んでいるといつもよりも早いペースで酔いが回っていたが、気付かないふりをした。
「中條課長」
耳元に甘く低い声。一瞬身体に電気が走ったようにぴくりと震えた。
酔いで微睡んでいたのか現状を認識するのに二秒かかった。
「佐野、くん…」
目の前に笑顔の男。
彼の顔を見るとどうしてか背中に悪寒のような痺れが走る。
「信じられないって顔してますね。やだなぁ、僕の歓迎会も兼ねてくれてるのに来ないわけないじゃないですか」
にこにこと愛想よく笑って当たり前のように対面の席に腰を下ろした。
心臓がどくんどくんと速く脈打つのを感じる。明らかに酔いのせいではない。
「狭山がわざわざ『中條課長が無理してこなくていいと言ってました』ってメールで教えてくれましたよ」
「それは…」
「ひどいなー。可愛がってくださいって言ったばかりなのに」
その目の中の温度が冷えていくのを感じる。
笑顔が完璧であるほどに胸の中のざわつきが増していく。
「もしかして、またこの間みたいなこと期待してます?」
「……!」
ふと違和感を感じると向かいから彼の足が私の脚の間に伸びていた。
ストッキングを一枚隔てただけの肌をなぞるような足の動きに神経が集中する。
羞恥にかられて逃れようとするのに脚を動かせない。
せめて顔を見られたくなくてうつ向いた。
「……やめ…て」
絞り出すような声で拒絶にもならない拒絶を紡いだ。
ただ耐えることしかできない私の頭上に何でもないような軽い声が降る。
「うーん、ここからだと顔上向かせられないですね」
「佐野くん…お願い…」
こんなところを誰にも見られたくない。
どうしてそんなに何でもないような顔をしてるの?
分からない。どうしてこんなことをするのかも。
だめだ、ずっと下を向いていたら余計に頭が重くなる…。
中條課長?あれ、完全に酔っちゃってますね
えー課長まだ一件目なのに
僕もそろそろ帰ろうと思ってたんで、ついでに送っていきます
え、でも佐野くんさっき来たばかりなのに
出張でけっこう疲れちゃって、すみません
いやこっちこそ出張帰りにごめんね、ほんとに大丈夫?
ええ、方向同じだってさっき伺ったので
悪いね、課長こうなったらもう復活しないからな
じゃあ悪いけど佐野さんよろしくお願いします
遠くの方で声がする。
あれ…もう帰るの?まだみんないるのに…?
大丈夫よ、まだ飲めるんだから
…仕方ないわね、分かった
自分の声も遠くて、まるで夢の中にいるような気分。
「中條課長、先にどうぞ」
めずらしく優しい
いつもそうだったら良いのに
「今日は飲みすぎですね、課長。……お仕置きだ」
会社近くの居酒屋、営業二課の面々と三月で異動になったメンバーを含めて歓送迎会が行われた。
結局七時に始まった宴会に彼の姿はなかった。
ほっとしたようなちょっと罪悪感を覚えるような複雑な心境を誤魔化すようにビールのグラスをあおる。
「課長ペース早いっすね」
「週末だしね、飲みたい気分なの」
「お次ぎします!」
「ふふ、ありがと」
まだ新メンバーとなって走り出したばかりだけど良い課だと思う。
みんな若くてやる気があるし、私の他に唯一の女性である課のセクレタリーの村山さんもこの飲み会の雰囲気を見る限り上手くやっているみたいだし。
なんとなく家族の話から村山さんの子供の話で盛り上がっていた。私より若いのにもう結婚して子供がいる。
この仕事が好きで誰より必死に取り組んだし、その成果としての今の役職がある。
役職に就くことと家庭を持つことは同列じゃないし優劣のつく話でもない。
それでも、振り替えれば五年はまともに恋人がいない現状に寂しさがないとは言えない。
ため息を紛らわせるために飲んでいるといつもよりも早いペースで酔いが回っていたが、気付かないふりをした。
「中條課長」
耳元に甘く低い声。一瞬身体に電気が走ったようにぴくりと震えた。
酔いで微睡んでいたのか現状を認識するのに二秒かかった。
「佐野、くん…」
目の前に笑顔の男。
彼の顔を見るとどうしてか背中に悪寒のような痺れが走る。
「信じられないって顔してますね。やだなぁ、僕の歓迎会も兼ねてくれてるのに来ないわけないじゃないですか」
にこにこと愛想よく笑って当たり前のように対面の席に腰を下ろした。
心臓がどくんどくんと速く脈打つのを感じる。明らかに酔いのせいではない。
「狭山がわざわざ『中條課長が無理してこなくていいと言ってました』ってメールで教えてくれましたよ」
「それは…」
「ひどいなー。可愛がってくださいって言ったばかりなのに」
その目の中の温度が冷えていくのを感じる。
笑顔が完璧であるほどに胸の中のざわつきが増していく。
「もしかして、またこの間みたいなこと期待してます?」
「……!」
ふと違和感を感じると向かいから彼の足が私の脚の間に伸びていた。
ストッキングを一枚隔てただけの肌をなぞるような足の動きに神経が集中する。
羞恥にかられて逃れようとするのに脚を動かせない。
せめて顔を見られたくなくてうつ向いた。
「……やめ…て」
絞り出すような声で拒絶にもならない拒絶を紡いだ。
ただ耐えることしかできない私の頭上に何でもないような軽い声が降る。
「うーん、ここからだと顔上向かせられないですね」
「佐野くん…お願い…」
こんなところを誰にも見られたくない。
どうしてそんなに何でもないような顔をしてるの?
分からない。どうしてこんなことをするのかも。
だめだ、ずっと下を向いていたら余計に頭が重くなる…。
中條課長?あれ、完全に酔っちゃってますね
えー課長まだ一件目なのに
僕もそろそろ帰ろうと思ってたんで、ついでに送っていきます
え、でも佐野くんさっき来たばかりなのに
出張でけっこう疲れちゃって、すみません
いやこっちこそ出張帰りにごめんね、ほんとに大丈夫?
ええ、方向同じだってさっき伺ったので
悪いね、課長こうなったらもう復活しないからな
じゃあ悪いけど佐野さんよろしくお願いします
遠くの方で声がする。
あれ…もう帰るの?まだみんないるのに…?
大丈夫よ、まだ飲めるんだから
…仕方ないわね、分かった
自分の声も遠くて、まるで夢の中にいるような気分。
「中條課長、先にどうぞ」
めずらしく優しい
いつもそうだったら良いのに
「今日は飲みすぎですね、課長。……お仕置きだ」