どうせ好きじゃ、ないくせに。
未定

これまでの私は、自分でも言ってしまえるくらい真面目に生きてきたと思う。

少々理不尽な雑用を押し付けられた時も一生懸命こなしたし、学生時代だって本当に体調が悪い時以外、休んだことも遅刻したこともない。

破った社会のルールなんて、どうしても急いでいるときに無視してしまった赤信号ぐらいだ。


本当にこの25年間、真面目におごそかに生きてきたはずだった。


---彼に、出会うまでは。



「…ふ、手震えてんじゃん。ただ近づいただけで、何警戒してんの?」



誰もいない、資料室の隅。必要な書類を取ろうと伸ばした右手に、背後から手を重ねてきた"彼"が、耳元で囁く。


振り返ったりしなくても、それが誰かはすぐに分かった。分かってしまうくらい、私たちは関わりを持ってしまっていたのだ。



「さ、触らないでください…」


「嫌なら振り払えば?」


「…っ」



するりと、彼の骨ばった細い指が私の指の隙間に入り込んでくる。

ああ、駄目だ、こんなこと仕事中にするなんて、私の価値観じゃ完全にアウトだ。

ただ手を重ねて絡めただけと言われればそれまでだが、彼の纏う雰囲気は、もはやどんな行為すらも危険なものに変えてしまう。


自制心はとっくに働いているのに、身体がそれを受け付けない。この人は、まるで媚薬だ。簡単に私の主導権を奪ってしまう。



「…手絡めただけで耳まで真っ赤なんて、どんだけ俺のこと好きなの」



そう短く笑う彼の表情なんて、容易に想像できてしまう。きっとまるで恐ろしいほど意地悪く口角を上げて、妖艶な瞳をしているんだろう。



「この間はもっと大胆だったのに」



それはもう、



「ね?澄香ちゃん」



まるで悪魔のように。

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