竜の妃は、今宵も鬼の夢を見る
 天灯(ランプ)の光が、古書の置かれた文机の見事な文様を浮き立たせている。黒柿の古材が使われた、竜妃の気に入りのものだ。通常のものよりも足が長いこの文机は、同じ文様を浮き立たせた、小さな椅子と対になっている。

 以前はこの文机を挟み、胡凋に書の手ほどきをされたものだった。


「……先生にお別れのお手紙を書きましたの。天で読んで下さったかしら」


 竜妃は再び、竜帝の肖像画につぶやいた。


 天才と謳われた胡凋は、知的で思慮の深い、素晴らしい人物だった。男性として見れば、少々中性的すぎて頼りないのかもしれないが、竜帝に心を捧げた竜妃にとって、そんなことは問題ではない。

 それに、そんな彼だからこそ、男性禁忌の後宮で、竜妃に学問をとく役割を与えられたのだ。


「けれど、お亡くなりになる前に、一目でもお目にかかりたかったわ。だって、先生にはとても良くしていただいたのだもの」


 訃報から一年経ったとはいえ、胡凋がこの世にいないことを思うとひどく寂しかった。

 彼は、竜妃の師であり、たった一人の友人だった。けれど、竜妃であるからには、そのただ一人の友人を弔いに行くことも叶わない。


 そのとき格子窓の向こうから、本物の小夜啼鳥(ナイチンゲール)のさえずりが聞こえた。誰を呼んでいるのだろう、自由な小鳥はのびのびと歌を歌っている。竜妃は、その声の聞こえる闇に目をすがめた。


「籠の鳥よ、籠の鳥――あなたは何を望むのか――」


 いつ覚えたとも知れぬ歌が、くちびるから漏れる。同時に、微かな笑みを顔に浮かべた。


(籠の鳥はあの小鳥ではなく、わたし自身だというのに)


 もちろん、後宮での生活はこれ以上ないほどに満ちたりている。けれど――例えばそれは、友人の死すら弔えないとき、それから二年も会えない竜帝のことを思うとき、彼女はこの広い後宮さえも狭く息苦しいものに感じることがあるのだった。


(けれど、そんなことを思ってはだめね……)


 月の光もない夜は、どうやら心があちらこちらに惑うらしい。こんなときには、起きているよりも、早く眠ってしまった方がいいのかもしれない――竜妃がそう思ったときだった。背後で、人の気配がした。


「ちょうどよかったわ。さっきはああ言ったけれど、やっぱりもう休もうかと思っていたところだったの――」


 そう言って立ち上がる。衣を替えてもらおうと、腕を軽く広げる。竜妃は何もすることはなくとも、こうしているだけで侍女がふさわしい衣に着替えさせてくれるのだ。

 しかし奇妙なことに、いつまでたっても衣は変えられず、それどころか竜妃に対する返事もない。


 おかしい――そんな思いが頭をかすめた。しかし、かといって、その頭をかすめた警告のようなものが、竜妃に何かとっさの行動をさせたわけでもなかった。

 何と言っても、彼女は何一つ不自由なく育てられた竜妃だ。食事も、着替えも、爪を削ることさえ、自らが心配せずとも、侍女たちがすべてをつつがなくこなしてくれる。


 彼女の辞書に、安全や快適さについての言葉はあっても、危険にまつわる言葉など皆無だったし、実際に危険な目というものにあったこともないのだった。

 しかし、今夜はどうやら違うようだった。


「陽月(ようげつ)、こっちこっち!」


 この後宮では聞いたことのない、驚くほどの大きな声に振り向くと、年齢は十ほどだろうか、赤い髪と黒い髪、二人の子供が回廊に向かって、手招きをしている。


「あ、あなたたちは一体……」


 声を上げても、侍女たちは誰も来ない。竜妃は逃げるように、部屋の中へ後ずさった。しかし、どこに逃げればいいのか。窓には格子が嵌められ、唯一の出入り口は、大声で騒ぐ子供たちがふさいでいる。


(竜帝さま!)


 混乱したまま、竜妃は肖像画の竜帝の胸にすがろうとした。すると、まるでそうさせまいというように、竜妃の細い肩がぐいと強い力でひかれた。それから、大きな手が彼女の口を塞ぐ。


「悲鳴なんか上げないでくれよ、そうすれば――」


 続いて、先ほどの子供のものとは違う、低い男の声が響き――あまりの恐怖に、竜妃はその場に崩れ落ちた。


「おっと」


 男が竜妃の身体を受け止める。その双眸が、無礼にも彼女の瞳を覗き込む。


(この瞳……!)


 それが夢か現かわからぬまま、竜妃は眠るようにして気を失った。

 礼儀知らずにも、彼女の瞳を覗き込んだ男の双眸――それはあの瞳邪鬼・朱藍と同じく、暁と宵を映していたように見えたのだ。
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