スプーン♪
ショートブレッド
秋のど真ん中から冬の入り口へ。
11月がもうすぐそこに来ている。
ミカンは鮮やかなオレンジへと色を変え、もういつでも食べられそうだ。
柿の実も、栗の木も、そして大好きなラ・フランスは、今が旬。期間限定のラ・フランスのタルトは、今年こそは頂きたいっ。卵は、カスタード・クリームへと進化を遂げれば、フルーツとも仲良くなれるから……そう考えると、やっぱり卵って凄いと思う。なんて、フレキシブル!

「あー、カスタードクリームたっぷりのフルーツタルトが食べたいっ」
つい今さっき、6時間目の数学が終わった。
終わった途端、開放感に満ち溢れ、頭の中は美味しい物、食べたいもので一杯になる。これをストレス反応とは呼びたくなかった。人間の本能。幸せの追求。
今日は問題に当たらなかった。数学は、恐怖のロシアンルーレット。
小テストの答案は、いつものようにすぐにカバンに収めた。家に帰れば、捨てる前に嫌でも1度は見る。「嫌な思いは1度で十分だよーっと」
いつもと違うのは、岩崎先生は授業が終わってもサッサと出て行かず、健太郎のいる野球部仲間に立ち止まって何やら話していた事だ。他人事だと油断していた所に、「あ、今口さん」と妖しい笑顔で近づいてくる。
「昨日の課題なんだけど、また、みんなから集めて持って来てよ」
こっちの返事を待たず、岩崎先生は教室を出て行ってしまった。
「……これは何の罰だろう。身に覚えが無いんですけど」
出来の悪い生徒はトコトン使い走りにするという事だろうか。私自身がトコトンひねくれてきたかもしれない。この時、出ていく先生の後ろ後を、いつものように追いかける女子は居なかった。
というのも、これから3組の臨時HRが開催されるからだ。
〝文化祭の色々〟
光野さんが前に出て、文化祭の模擬店開催を高らかに宣言すると、あちこちから、「うーっす」「ぎょい」「あいよー」と、フ抜けた反応が帰って来た。誰も反対する子は居なかった。仕切りは光野さんが声を掛けた女子グループ(波多野さん達)に任せておけばいいし、男子も言われた事だけやっていればいいという気楽さがあるからだ。
マユと目が合った。……と、思った。手を振ったけれど、気が付かなかったのか反応が無い。
すぐに波多野さんがしゃしゃり出て、その指示で(強制的に)作業グループに分けられた。接客のマユとは別のグループになってしまった。残念だね、とばかりに、今度はそんな合図をマユに送ってみたけれど、やっぱり何の反応も返って来なかった。何だかマユの様子がおかしい。気のせいかもしれないけど。
話し合いが済んで後、いつのまにか教室から居なくなったマユを気にしつつ、岩崎先生から言われたプリントを集めて回った。やっぱり忘れている子が居て、全部集まるのは時間が掛りそう。「面倒くさーい」
このあとは一大イベントが待っている。調理グループのリーダーになった光野さんと私は、この後、生徒会室に赴く事になっていた。3組で決めた模擬店計画の報告に行くのである。こっちは数学の課題どころじゃない。ちょうど目が合った所で、まさにちょうどよかったとばかり、また波多野さんに頼むことにした。マユがいたら……マユに譲ってあげたのに。

光野さんと合流して、緊張でドキドキしながら生徒会室の扉を開けると、すぐ目の前に会長さん、三役が勢揃い。「どうぞ」とジュースが出てきた。
「これ、昨日作ってみたんですけど」
私は、ゆうべ作ったお菓子を広げる。
「ショートブレッドです。ビスケットより小さくても、凄く濃厚です」
だから1つで結構お腹一杯になったりする。
「今口さんて、こんなのも作れるんだ」と、光野さんも1つ。
「うん。美味しい。毎日食べたい。紅茶とか合いそう」
3つ目に手を伸ばした3役を前に、さっそく、文化祭に食べ物の模擬店を出す事を報告した。
「それいいよ。ウチって毎年、食いもんの模擬店が少なくて。去年もたこ焼きだけだったし」
「うどんとか、焼きそばとか、ガッツリ食いたいよな。こういう時に」
「あたし、肉まんも」
「パスタも、ピザも」
私は、それぞれが語る夢を眺めていた。パスタやピザが好きと言う人は、どことなくそんな雰囲気を持っていると思う。間違っても、チヂミじゃない。
こっちが下らない妄想に飛んでいるうちに、光野さんと生徒会の間で、真面目な話は続いていた。テーブルやイスなどの備品、生徒会からの補助金、必要なら調理室を使ってもいいとお許しも出た。ジュースのお礼を言って、お菓子のお礼を言われて、光野さんと共に、生徒会室を後にする。
「うちのクラス、かなり期待されてるみたいなんだけど」
3組のクラスは遠いので、模擬店開催の場所は、もっとオープンな場所を使えばどうか、と言う案が出ているらしい。
「てことは、かなり大ゴトになりそうじゃん。大丈夫かな」
「波多野さんが実行委員だから、他のクラスからもお手伝いとか、相談してみようと思ってる」
「え、いつの間に」
波多野さんが、実行委員。
目立つ人だけど、実行委員に自分から進んで立候補するような女子じゃないと思ってた。そう言う事は、めんどい!と1番に無視を決め込みそうなのに。
まさか、これも先生にいいとこ見せたいから、とか?
何だか、全てが岩崎先生の影響で回っているような気がしてきた。
また次の打ち合わせの日取りを決めて、これから塾だという光野さんとはそこで別れた。教室に戻れば、噂の……波多野さんが仁王立ちで待ち受けている。「どこにいたの?」と怪訝そうに睨まれて、「生徒会室だよ」
「もうさ、文化祭の色々で忙しいんだけど」
何だか怖いので、ペコペコと謝った。
「これ、言われた本人が持って来いってさ」
岩崎先生から、課題まるごと返されたと言う。……がっくり。そう来たか。
岩崎先生に課題を渡すなんて、それこそが地獄の課題だ。まず謝らなくては。罰を他人に頼んですみません……。

職員室、中の様子を恐る恐る窺えば、そこには誰の先生の姿も無かった。岩崎先生の居ない事にホッと安堵して、課題の束を机の上に置く。先生が居ないのは、私のせいじゃない。次の日あたり、どう突っ込まれても言い訳が立つと思えた。岩崎先生の机の上を見れば、3組の答案が積まれている。さっきの小テストの答案もあった。自分の分を抜き取りたい衝動に駆られる。恐らく岩崎先生の物だと思われる携帯が、机の上、無造作に置きっ放しで……こんなズサンな管理では、カーヤに覗かれても文句は言えない気がするよ。ふと机の上、埋もれたプリントの片隅に、どこか見覚えのある布模様が目に飛び込んできた。
愕然とした。
混乱が湧いた。
それは、私がマユに渡しているお弁当の包みだったからだ。驚いて包みをめくると、その中から空のお弁当箱が出てきた。貼られた小さなメモパッドに『ごちそうさま』と見た事の無い文字の走り書きがある。岩崎先生の字だと思えた。
……どうして。
マユは、自分のお弁当を岩崎先生に渡しているの?
私が岩崎先生に料理を持ち込むのを嫌がったから、それでマユは強硬手段に出たのかも。全てが、先生を中心に回っている。まさか、マユまで。
泣きたい気持ちが、喉の奥から込み上げてきた。それをグッと我慢して、お弁当箱を見つめたまま立ちすくんでいると、そこに倉田先生がやってきた。
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