スプーン♪
愛妻弁当
「おお、ブルータスよ、おまえもか?」
「え?」
「岩崎に、まさかの愛妻弁当か」
「ち、違います!」
お弁当箱の上に、「プリントです。これです」と見せしめながら、わざわざバサッと音をたてて置き直した。
おまえもか……倉田先生のそんな言葉の向こうに、マユの存在を見た気がする。倉田先生と2人きり、黙り込むのも不自然だと動揺を何とか抑えて、文化祭の話を持ち出した。
「こっちの演劇部は2日間、出ずっぱりだからなぁ」
演劇部にとって文化祭は晴れの舞台。倉田先生も顧問として張り切っているらしい。倉田先生は生徒会と掛け持ちもしているから、文化祭は鬼のように忙しいだろう。さっき決まった模擬店出店を報告してみた。
「で、何作るんだ?」
「まだそこまで決めてないですよ」
「倉田先生は何が食べたいですか?」と聞けば「おでん、なんかいいよなぁ」と笑顔で返ってくる。思わず笑ってしまった。倉田先生は、おでん。
まさにそんな感じ。がんもどき、あたりがピッタリ。
「じゃそれは、文化祭メニューの候補の候補ってことで」
笑っておきます。
「食いもんはテーブルとか椅子とか、準備が大変だろうな」と倉田先生は心配してくれたので、「それはクラスを総動員ですよ。特に男子は無条件でこき使いますから」と答えた。倉田先生は豪快に笑いながら、「忙しくても食べに行くよ」と約束してくれて……ふと倉田先生が真顔になる。何かと思うと、
「岩崎の授業は厳しい?」
顔色を窺うように覗き込まれた。メチャメチャ厳しいです!と答えれば、それが倉田先生の口から岩崎先生に伝わるかもしれない。
「……そうでもないです」
苦虫を噛むように言葉にした。
「岩崎が先生になるとは、世も末なんだよなぁ」
倉田先生は何やら語りたい様子なので、「何かあったんですか」と、その先を促してあげた。聞けば、岩崎先生が在学中は倉田先生が担任だったらしい。
「暴れもんだったよ。すぐキレて若い先生をプールに突き飛ばすし」
倉田先生は続けて、「困っちゃうよなぁ。ハハハ」と豪快に笑った。こっちは青くなった。いくら恨み募るとはいえ、岩崎先生をプールに突き飛ばすなんて(どんなにやりたくても)私には出来ない。自分は泳げないという屈辱の事実と共に、突き落とされたという若い先生の冥福をただ祈る。
「滅茶苦茶がウケたのか、昔から女の子にはモテる奴だった」
噂の、そこだけは本当だと知った。
倉田先生は窓からヒョイと顔を出した男子の先輩に、「先生、暗幕足りませんよぉ~」と泣き付かれ、「体育倉庫をちゃんと見たかぁ?」と呆れながらカギ束を取り、職員室から出て行く。

独りになると、さっきのお弁当箱が目線の先にチラついた。
そこに、浮かれた波多野さんの声と共に、岩崎先生らしい笑い声が廊下から聞こえてきた。慌てて、離れたデスクの下、ゴミ箱を抱くように隠れる。
よく考えたら隠れる事も無かったと気付いたけれど、もう遅い。今更、出て行けない。恐らく岩崎先生が椅子に座った。キーッという椅子を引く音と共に、本らしき物をバンバンとまとめる音が重なる。
「先生って、服は何処で買ってるのぉ?」
波多野さんの先生チェックは、スーツに始まり、時計、ネクタイ、あれやこれや。聞いた事も無いブランド名が飛び交った。岩崎先生は「さぁな」「へえ~」「そうなの?」「別に」と特に当たり障りのない、というか、気の無い返事をのんびり繰り出す。2人が出て行きそうな様子は無い。隠れたまま、どうしようかと案じていると、そこに倉田先生が戻ってきた。思い掛けない邪魔者の到来に(?)波多野さんは急におとなしくなる。
「川西が探してたぞ」
バンドの男子が体育館のステージで呼んでいるという。倉田先生に促されて、波多野さんは渋々出て行った。
「助けてやったんだから、手伝え」
「ハイハイ」と呆れながらも岩崎先生は従っているようだ。
「そこのバインダー集めて。箱は潰してブチ込んで。それは学年ごとに分けて」
倉田先生は、岩崎先生に次から次へと命令していた。岩崎先生がバタバタと動く音だけが聞こえている。
岩崎先生をパシリに出来る人は倉田先生ぐらいだろうな。シビれるな。
「1年3組、追試組」
ギクッとした。ウチのクラス。岩崎先生のチッという舌打ちが続く。
「コイツら。部活を理由に、何度呼んでも来やしねぇよ」
普段の授業から想像もつかない岩崎先生の乱暴な言い方に、少なからず驚きがあった。追試組は呼び出されている……その事実にも愕然とした。部活を理由に呼び出しを避けているのは、健太郎あたりを言っているのだろうか。プリント集めの罰……それはもしや追試組の自分に対するお呼び出しだったのか。
あの〝特〟のマーク。まさに特別マークの生徒って事なのか。
「さっき3組の今口が来てたぞ。それ持って」
「あぁ、コイツも難しいな」
「女子に向かって、コイツとかオマエとか言うなよ」
「あーはいはい。で、補習とか、勝手にやろうかって、いいっすか」
岩崎先生は、倉田先生に補習開催のお許しをもらっているという態度ではない。当然やらせてもらうと決め付けた声だった。
「いいだろ」
倉田先生はあっさり答えた。ドーンと、私の周りだけが暗闇に包まれる。
「岩崎。どんだけ美味いか知らないけど、これはちょっとマズイだろ」
倉田先生は、恐らくお弁当箱を指して言っていると思えた。その声は岩崎先生を責めるというより、面白がっているように聞こえる。
「岩崎君、教師はセイショクだよ。セイショクが仕事じゃないんだよ」
2人が声を合わせてゲラゲラと笑った。セイショク?生食の事?言葉の意味が瞬時に理解できなくて。かといって、この状況、それどういう意味ですか?なんて飛び出して訊ける訳が無い。
「女子が家に来たいとか言いだして、困っちゃってるんですけど」
「何だそれ。自慢か」
「そんな訳ないっすよ。マジで困ってます」
2人の台詞の合間に、バサバサと紙を束ねる音が続いた。
「教師は基本、プライベートは秘密ですもんね」
倉田先生は、ふんと鼻先で頷いた。先生のプライベートは秘密……そんな決まり事?があるなんて知らなかった。岩崎先生を好きだという女子は結構いる。好きな人の事を知りたいと思うのは当たり前だ。情報の1つも教えてもらえないなんて。そう言えば、いまだに先生の年齢が判明しない。健太郎が何度突っこんでも誤魔化されている事が思い出された。ムダな事だ。卒業アルバムを探られたら一目瞭然なのに。
「これ。お弁当だけでもって言うから、1回限りってことで仕方なく受け取ったんですけどね」
岩崎先生のそれは、はっきり迷惑だったと聞こえる。
「弁当どうだ?美味かったか?」
「そうでもないです」
ドスッと刺さった。
「なんつーか、お子様の味っすよ」
岩崎先生がゲラゲラ笑う。こっちは、あまりの悔しさで震えがきた。
人が愛情2倍と思いやり3倍込めて作ったものを、そんな風に言い捨てるなんて。お客として……こいつを許せない。
「女子は色々難しいっすよ。今度は男子高を紹介してください」
岩崎先生が泣き言を演じると、「贅沢言うな」と倉田先生はバッサリ切り返す。
またいつかの嫌な感じが頭に甦った。岩崎先生は表向き好い顔を見せて、真剣な女の子の気持を軽くあしらっている。マユ、アユミ、波多野さん、結婚をはぐらかされているとかいう彼女さんも浮かんできて(見た事無いけど)、誰もが被害者のような気がしてきた。私のお弁当だって仕方なく食べられて、お子様だと軽く扱われて。

程なくして先生が2人共職員室から消えたのを見計らい、私は職員室を、そして校舎を飛び出した。外はすっかり暗くなっている。辺りを包む暗闇に負けないように、人込みを裂いてズンズン歩いた。
口惜しい。
口惜しい。
胸内がグラグラと煮えている。
今の私は、レンジの中で沸騰爆発寸前の卵なのだ。
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