不埒なドクターの誘惑カルテ
 笑いながら自虐めいた言い方をする。

 私の話——聞かれてたんだ。

 あれほど首を突っ込むなと言われていたのに、またこうやって勝手に騒ぎを大きくしてしまった。

 今更反省しても遅い。私はたえきれなくなって、バッグを掴むと立ち上がり、「失礼します」とだけ声をかけて、座敷を飛び出した。

 足がちゃんとパンプスに収まるのも待てずに、私は一刻も早くその場を離れたかった。訳知り顔で束崎先生の話をしたことが恥ずかしくて仕方ない。

 私は他人なのに……。

 あの日、バーで見た先生の冷たい顔が頭をよぎる。先生にとってはふみこんでほしくない話なのに、私ったらまた・・・・・・。

「茉優っ!」

 店を出たところでタクシーをつかまえたとき、私を追いかけて来た先生に手を掴まれた。

 またあの冷たい顔をしているのだろうか。もう二度とあんな顔、させたくなかったのに。

 そう思うと、彼の顔がまともにみられず私は顔を背けたままだ。

「茉優、さっきのことだけど——」

 自分が首を突っ込むべきじゃなかったことは、わかっている。けれど、本人に冷たく言われてしまうと、またひどく落ち込んでしまう。

 私は彼の言葉を遮って、笑顔をうかべて彼を見つめた。

「あの、ごめんなさい。もうさっきみたいなことは、二度としませんから。もう先生のことあんなふうに、みんなの前で話をしたり、不必要に話し掛けたりもしません。本当に、ご……めん、な」

 最後まで言いきらないといけない。そう思っていたけれど、涙が滲んできて、それを隠すために、私はタクシーに乗った。

「ちょっと、待て。茉優」

 まだ話を続けようとする先生を無視して、私は行き先を告げて「出してください」とつげた。

 タクシーの運転手さんは、先生が気になっていたようだが私が先生と目も合わさない様子を見て「閉めますよ」と声をかけると、扉を閉め車が動きだした。

 それまでまっすぐ前を向いて、先生の顔をみないようにしていたが店の前を離れる瞬間、我慢できずに見てしまった。

 じっとこちらを見つめたままの先生。私と目が合ってもそらさずにこちらを見ていた。その視線の中に、何らかの意図がこめられている。しかし私にはそれがわからなかった。

 私のほうから視線を逸らす。しかしサイドミラーに映ったままの先生はタクシーが角を曲がり見えなくなるまで、その場を動かなかった。
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