俺様社長と極甘オフィス
「ほら、あれがそうだよ」

 住友さまが促す通り、私は屋上の外へ出る扉の上に顔を向けた。他の階に比べると低めの天井と壁の境目辺りに「阿僧祇」と書かれている。

 文字自体は長い年月もあり、やや掠れ気味だった。さらに、随分と視線を上にしないといけないので、私は言われるまで気づかなかった。

 なにより、ぱっと見なんて書いてあるのか、書かれている文字を認識したところで読むことができない。

 なんでも住友さま曰く阿僧祇とは元々はサンスクリット語を音訳したもので、仏教用語なんだとか。「数えることができない」引いては「無数」という意味らしい。

「わざわざ紀元会長が、これを?」

「そう。なんでも有名な書道家がこのビルを訪れた際に、記念に書いてもらったとか漏らしておった」

 確認するように住友さまに尋ねると、住友さまは視線を壁から外さないまま、大きく頷いた。

「下のラウンジで紀元と飲んだ時に、ついでにこれを見せてもらってなぁ。あいつらしい。ちょっとした遊び心だ、なんて言っていたが。おそらく会社の利益がどこまでも伸びるように、と願掛けしたんだろう。お互い、酔っておったしな。それにしても、もう一度くらい、飲めると思っていたんだが……」

 懐かしむように語る住友さまの口調はどこか寂しそうだった。私はもう一度文字に目をやる。自分で書くのは難しそうだ。普段、縁のない言葉だし。阿僧祇と書いて「あそうぎ」と読むらしい。

「それはそうと、藤野さん」

 いきなり空気を変えるように、住友さまは私に向き直った。
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