プラス1℃の恋人
「ばかやろう! なんでこんな初歩的なミスが出るんだ!」

 千坂に報告すると、案の定猛烈なカミナリが落ちた。

 オフの場ではゆるくて気のいいオッサンなのだが、仕事中の千坂は、相手が女子社員だろうが新人だろうが容赦ない。
 オフィス中に響き渡る怒号に、営業担当者は震えあがる。

 契約自体はだいぶ前のもので、すでに工場にも発注済みだった。
 だから営業担当者の児嶋も、最初はなんのことかピンとこなかったようだ。

「ってか、俺のミスと違うんじゃないですか? ちゃんと訂正してたはずだし。それに千坂主任は、販売担当じゃなくマーケティング部の人間じゃないですか」

 児嶋がブツブツと不平を漏らす。

 あれのどこが訂正なのだ、と口を開きかけたとき、一瞬早く千坂がキレた。

「いまなんて言った」

「え?」

「おまえ、自分の尻も自分でぬぐえないのか」

「……」

 千坂の迫力に気圧され、児嶋は言葉を失くす。

「おい、二階堂!」

 千坂の怒りが、指導担当である二階堂まで飛び火した。
 先輩社員まで呼び出され、さすがの児嶋もうろたえている。

 神妙な顔でやってきた営業のエース社員に、千坂は厳しく言い放った。

「俺は畑違いらしいから、おまえに聞く。伝票の書き方もわからんやつに得意先を任せるというのが、営業部のルールか?」

「いえ、違います。それに部署が違っても、千坂主任が上司であることに変わりありません」

 ――きっつ……。

 営業部の責任者が出張で不在だったため、青羽は千坂に報告したのだが、二階堂にこっそり伝えたほうがよかったかもしれない。

 ふだん温厚な人ほどキレたら怖いというのは本当らしく、オフィスにいる全員が千坂の迫力に震えあがっていた。

「いいか、新人だろうがベテランだろうが、ひとりの社員の行動が会社の評価に直結する。新人研修で真っ先に教わることだろう。違うか」

「自分の指導不足です。申し訳ありませんでした」

 潔く頭を下げる二階堂を見て、ミスをした張本人である児嶋も慌ててそれにならった。

「あのなあ、謝る相手が違うだろう! 先方への謝罪は、児嶋と一緒に二階堂もついて行け」

「すみませんでしたっ!」

 謝る相手が違うと言われたばかりなのに、もう一度児嶋は千坂に向かって頭を下げた。
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