プラス1℃の恋人
 それにしても、いったいこの人、どこで見たんだっけ。

 不思議に思いながら見つめていると、「自己紹介が遅れました」と言って、仁科は内ポケットから名刺ケースを取り出した。

 仁科智明《にしなともあき》 B.C.Delicatessen Inc. 代表取締役社長――名刺にはそう書かれていた。

 このB.C.squareTOKYOの7階にあるフレンチレストランの系列会社で、おもにケータリングサービスを展開しているようだ。

 どこかで見たことがあると思ったら、テレビや雑誌で最近さんざん取り上げられた顔ではないか。
 たしか、女優との熱愛報道があったんだっけ。

 相手がB.C.squareで働く経営者ということで近隣にマスコミが貼りつき、管理室にいる〝癒しの田中さん〟が、めずらしく怖い顔をして追い返していた。

 確かに、女優と付き合っても遜色ない、端整な顔立ちをしている。
 しかも、B.C.squareTOKYOに入居している企業の社長。肩書だって申し分ない。

 でも、そんなゴシップネタに、青羽はあまり興味がなかった。
 誰だったか思い出せないのが引っかかっていただけで、正体がわかればすっきりした。


「来月ここの52階で、とある一族のパーティーが行われることになっているんです。私どもの会社がフード・サービス全般を任されているのですが、主催者が大のビール党でしてね。そこで、クラフトビール・マーケティング・ジャパンさんに飲み物の手配をお願いしていたわけです」

 先日、3500本の商品が届いたばかりなんですよ、と仁科は言った。

 銘柄を聞いて驚いた。営業の児嶋が誤発注したものと同じものではないか。
 しかも、その数3500本。

 もともとの500本に、販売元の在庫、それに流通業者からかき集めたものを合計して、ちょうど5000本――。

 青羽は千坂を見る。
 千坂の額には汗が浮かんでいた。

 そうか。勝負をかけたい相手というのは、この仁科のことだったのだ。

 テーブルの下で、青羽も両手を握る。

 なんで自分がこの場にいるのかわからないけれど、どうかこの商談、うまくいきますように――。
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