プラス1℃の恋人
「私のこと、嫌いですか?」

「さっき好きだって言った」

「じゃぁ、それでいいじゃないですか」

「そうじゃなくて……」

 埒があかん、と天井に向かってイライラしたように言葉を吐き捨てる。
 そして青羽の両肩を掴み、先生が生徒を諭すように、膝を落として目の高さを合わせた。

「おまえは若くてきれいで性格もいい。でも大事な部下なんだ。しかも妹と同じ年ときた。そんな若い娘を、酔った勢いでどうこうできるか」

「嘘つき」

 千坂は酔ってなんかいなかった。
 シャンパンとビールは飲んでいたけれど、言葉も行動も普段と変わらない。

 それに、酔っているなら、なおさらこんなふうに部下の告白を避けたりなんかしないはずだ。

 言葉とはうらはらに、千坂の体は青羽を求めていた。
 欲望がかたちになっていく様子が、服の上からでもわかる。

 本当は欲しくてたまらないのに、千坂は必死で歯をくいしばって耐えている。

 なにが千坂の理性をつなぎとめているのだろう?


「わかりました。主任と付き合うのは諦めます」

 ホッとした表情を見せた千坂に、腹が立った。

「でも、条件があります。いちどだけ抱いてください」

「須田……」

「お願いします。それできっぱり諦めますから。会社でも、ちゃんと上司と部下としての距離を保ちます」

 恋愛ドラマなら、ヒロインのライバルが言いそうな常套句だ。
 以前の青羽だったら「こざかしい女」と嘲笑していただろう。

 けれどそれだけ必死なのだ、恋というのは。

 かりそめでもいい。
 ほんの一瞬だけでも、好きな人に愛されたい。

 体を重ねてしまったら、もっと想いは強くなるだろう。
 引き返せなくなるのはわかっている。

 でも、この人を好きになった証として、心に傷が残るならそれでいい。

 千坂が部下としての自分しか必要としていないのなら、明日からは意地でも優秀な部下を演じてやる。
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