プラス1℃の恋人
 夕べ、千坂が寝物語で教えてくれたのは、昔の恋の話だった。


 千坂が営業部にいたころ付き合っていた人は、直属の部下だったそうだ。

 外回りのときはいつも同行し、残業も一緒、帰る時間も一緒。
 だから自然と、仕事以上の深い関係になった。

 千坂は次々と契約を取り、営業部のトップに登りつめた。
 サポートしたのは、もちろん彼女だ。

 異例の速さで昇進の話が出た千坂は、どんどん仕事にのめりこんでいった。

 休日も自ら進んで取引先を回る。
 体力には自信があったので、休みがなくても平気だった。

 そして安定した地位を確立できたなら、部下でもある恋人と新しい関係を築くつもりだった。
 『家族』という関係を。


 ところが、次第に彼女の様子が変わっていく。
 何かにおびえ、顔色も悪い。

 千坂が問い詰めても、彼女はなにも言わなかった。
 けれど執拗に追及した結果、ついに「ストーカーにつきまとわれている」と打ち明けた。

 警察に届けるよう説得しても、応じようとしない。
 そして「今言ったことは忘れてくれ」と千坂に乞うのだ。

 千坂は納得しなかった。
 いや、正確には納得したふりをして、ストーカーの正体を突き止めてやろうと考えていた。

 今の自分には、できないことなどない。
 そんな傲慢な過信が千坂の心にはあった。
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