プラス1℃の恋人
「それから社内での恋愛はきっぱりやめた。おまえとこういう関係になったのも、俺にとっては狂ったとしか思えない行動なんだ。いや、もしかしたら、彼女に報復するつもりでおまえを抱いたのかもしれない」

「なにそれ。最低ですね」

 最低と言われたのに、なぜか千坂は嬉しそうだった。


 青羽は、千坂の気持ちは何を言っても変わらないのだと悟った。
 彼自身が過去に囚われている限り、周りの言葉など心には響かない。

 でも、不思議と青羽の心は穏やかだった。

 恋に臆病な千坂が、一夜限りとはいえ、青羽を受け入れてくれたのだ。
 ずっと何年も女を抱いていなかったかのように、狂おしいほど求めてくれた。

 誰にも動かせなかった彼の心に、自分は小さな風穴を開けることができたのだと思う。



 すっかり乾いた自分の服を着て、青羽は千坂に向き合う。

「千坂主任、目を閉じてください」

 千坂は不思議そうに青羽を見おろすが、言われたとおりに目を伏せた。

「これからおまじないをかけます。私がキスしたら、千坂主任は生まれ変わって、新しい人生のスタートが切れます。いいと言うまで、目をあけちゃダメですよ」

 芝居がかった青羽の言葉に、千坂はくすりと笑う。

 長い睫毛。
 広い背中。
 大きくてやさしい手のひら。

 会社では厳しいけれど、一歩外に出れば優しくて、狂おしいほどの情熱を隠し持っているのに、恋には臆病な人。
 その姿を、青羽は心に焼き付ける。

 さよなら、大好きな人。

 青羽は足もとにあった自分の荷物を手に持つと、そのまま何もしないで背を向けた。
 そして振り返らずに、ホテルのドアを開ける。

 他人に呪いを解いてもらおうだなんて、考えが甘いのだ。

 もしも本当に生まれ変わりたいのなら、今度はあなたが追いかけてきて。
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