プラス1℃の恋人
「風間くん、この数量じゃ足りないんじゃないかな」

 風間の企画書に、青羽は赤ペンでチェックを入れた。
 風間は大きな体を小さくし、「すんません」と頭を下げる。

 52階で行われるB.C.Building Inc.のCEOが主宰するパーティーを、今年も仁科の会社がプロデュースすることになっていた。
 もちろん青羽たちが勤めるクラフトビール・マーケティング・ジャパンが飲み物のサービスの一端を担う。
 その企画担当を、新人の風間に任せてみようということになったのだ。

「でも、限定品とか先着順とかのほうが、客が食いつきそうな気がするんですけど」

「セールスプロモーション部の仕事は、そういう戦略的なことが目的じゃないの。限定品というだけで飛びつく客は、リピーターにはならない。実際に五感で味わってもらったほうが、長期的な固定客獲得につながるのよ」

「五感?」

 ビールの色やパッケージといった見た目、香り、味やのど越しなどの味覚、冷たさやグラスの重み……

「聴覚は?」

「泡の弾ける音……と言いたいけれど、パーティーのざわめきってことでどう? 楽しい会話を記憶に残してもらうの」

 無理やりつなげた話だが、風間は「なるほど!」と目を輝かせた。

「じゃあ、数量は3倍くらい見積もっておいたほうがいいですかね。人気商品と新作オススメいくつかを、2対1くらいで混ぜて。当日のメニューも確認しておきます」

「それがいいかもね」

 基本から叩きこまなければならないのだが、素直で飲みこみが早いので、指導のしがいがある。
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