プラス1℃の恋人

千坂拓亮のながい一日(後編)

 若い女性に押し倒されるなど初めての経験で、千坂は動揺のあまり、声を出すことすらできなかった。

 須田は千坂のタンクトップをおもむろにまくり上げた。
 煌煌と明かりのついたオフィスで上半身をあらわにされ、恥ずかしさを通り越して放心状態になる。

 そういえば昔、痴漢にあっても対処なんてとっさにはできないもんだと妹が言っていた。

 確かにそうかもしれない。
 とにかく状況が飲みこめず、どうすればいいのか全くわからないのだ。


 うっとりと胸に頬を押し当てている部下を眺めながら、「そういえば、こんな設定のAVをこのあいだ見たっけな」と思い出す。

 あれはよかった。
 中年の冴えない窓際係長が社長秘書に迫られるというやつだったのだが、思わず2回も見てしまった。

 けれど、これは自分の身にリアルで起きていることである。
 現実世界でAVのようなことをやらかせば、へたすると懲戒処分だ。

 下半身のほうへ向かおうとする須田の手を制し、陥落してしまいそうな男の性を必死でなだめる。

 自分の上に乗っかっているのが直属の部下だということが、千坂の理性をかろうじてつなぎとめていた。
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