愛し君に花の名を捧ぐ
 自分は先方に望まれて、大陸の東の果てまではるばるやって来たのではなかったのか。受けた拒絶の衝撃は、いまなおリーリュアから抜けない。
 それをさらにキールがえぐる。

「帰れって言われたんですから、アザロフに帰りましょうよ。姫様」

 榛色の目を細くして渋面を作る。彼は初めから、この結婚には異を唱え続けていたのだ。

「この国って、妻を何人持ってもいいって聞きましたよ。あの方が、姫様のほかにも妃をおいても構わないんですか?」

「それは……」

 宮処に着くまでの長い道中に聞かされた葆の風習や思想などの中でも、リーリュアが特に衝撃を受けた事柄のひとつである。
 基本一夫一妻制のアザロフの王宮では、過去の歴史の中には愛妾といった立場の者がいたこともあるが、日陰の身というのが常だった。葆のように堂々と宮中に居を構え、身分を保障されるものではない。
 ところがこの葆においては、妃嬪が場合によっては、正妻をも脅かす存在となるという。その状況をリーリュアは耐えられるのだろうか。

 使い慣れない茶道具で侍女が淹れてくれたこの国の茶を口に含み、その渋さに眉をひそめる。

 リーリュアの手の中にある茶杯も、座っている椅子も。客室として与えられた殿舎全体が祖国とまったく異なる様相を呈している。アザロフから同行した者たちは、葆の言葉さえほとんど解することができない。
 夏が近づき日に日に強まっていく陽が格子窓を通って射し込み、床に幾何学的な模様の陰を作る。そんな光景さえ、山を切り崩して建てられた石造りの城で育ったリーリュアにとっては珍しいものに映った。

『ここの人って、オレたちのことをじろじろ見て、なんか感じ悪いですし』

 リーリュア以外で唯一葆での日常会話に不自由しないはずのキールが、わざとアザロフ語で言い放つ。少しクセのある亜麻色の髪をかき上げ、あちら側に衛士がいるはずの扉を睨み付けたが、それはその目と髪が原因なのである。

 黒目黒髪の者が大半のこの国で、薄い色の髪や瞳はまだ珍しい。特にリーリュアのような金髪翠眼は悪目立ちしてしまう。
 葆の宮処を出たことがない者たちが、奇異なものを目にしたような視線を向けるのも無理はなかった。この国の者たちからしたら、自分たちのほうが異質ともいえる存在なのだ。

 異なる外見と文化を持つ者同士では、相容れる事ができないのだろうか。
 蒼世殿で琥苑輝から向けられた冷淡な視線を思い出し、リーリュアはゆるりと頭を振る。

 そんなはずはない。《《あのとき》》、たしかに彼はリーリュアと同じ想いを抱いていたはずなのだから。

「それほど帰りたいなら、キールひとりで帰ればいいわ。わたくしはここに残り、苑輝様の妻になります」

 リーリュアは祖国を出るときにした決意を口にすることで、再度胸に刻み込んだ。

< 5 / 86 >

この作品をシェア

pagetop