戸惑う暇もないくらい
「なんか肌ツヤ良くない?」
「えっ」

翌日、職場に出勤して事務所で日誌を確認していると、早番で出勤していた同僚の村本若菜(むらもと わかな)が入ってきた。
若菜は貴重な同い年の同期で、春から肌着売場に異動してきた。

「はー…あのモデル彼氏とラブラブで幸せそうで」
「そんなこと…」

最後まで否定できなかったのは一瞬、昨晩のことを思い出したせいだ。
すぐにその映像を追い出すように頭を振る。

「幸せな人はみんな同じこと言うのよ」

ため息混じりに言う彼女は現在絶賛恋人募集中であり、色んな人脈を使ってコンパに参加しているもののなかなかその努力は実を結ばないらしい。

「あーあ、私にも年収1000万の実業家か俳優なんかが現れないかなぁ」

贔屓目なしに美人な容姿だと思うのに恋人ができないのはその理想の高さだと思う。

「えーっと、店頭出てくるね」

そっと事務所を後にする。
自分がそうだから分かるけど、独り身で心が荒んでいる時に恋人持ちの恋愛に関する助言やいい加減な応援は素直に受け取れるものではない。
またこの年齢になると殊更にその傾向がある。

店頭に出るとメーカーの販売員さんたちに挨拶をしながら自分の担当するブランドのスペースまで移動する。

ここ、高菱屋百貨店は都内でも有数の百貨店であり、肌着売場の面積も他の百貨店に比べてかなり広い。
高菱屋全体の方針として若年層の取り込みに重きを置いており、それに倣って春から新しく輸入することになったインポートブランド、「ジョワ・フルール」が私の担当だ。

「ジョワ・フルール」は直訳で"歓びの花"を意味し、現地フランスで若い女性に人気急上昇中のブランドだった。

「こんにちは」

声を掛けられて在庫を確認していたファイルから顔を上げると爽やかなスーツの男性が立っていた。

「成川さん」
「ちょうど店頭でお会いできて良かったです」

にっこりと涼やかな笑顔で微笑むのは「ジョワ・フルール」日本支社で高菱屋の担当セールス、成川凌(なりかわ しのぐ)さんだった。
長身に細身のネイビーのスーツ、爽やかな笑顔は婦人肌着の売り場にあっていやらしさの全くない男性だった。
イケメンは得だと言われるのも納得の例だ。

「来週末日本着の春夏コレクションの在庫確保の件なんですが、場所、移動しましょうか」
「じゃあ事務所に行きましょう」

成川さんと事務所に入るとそこはもう若菜もおらず無人だった。

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