鎖骨を噛む





3月の午後は、温かかった。もうすぐ春が来るのか、それとももう来てるのか……。どっちにしても、この時期にチェスターコートを着ていたあの女の人は、寒がりなんだろうか。それとも、おしゃれのために、わざわざ暑い思いをしていたのだろうか。恋って大変。まあ、恋かどうかはわからないけど。



アパートの近くに川がある。大きな川で、この川の水は、東京湾まで流れている。きっと津波が来たら、今歩いている土手も濁った海水で満たされるんだろうなって思うと、歩いている足がすくむ。



土手では、犬を散歩させているおじさんや、釣りをしているおじさん、ランニングをしているおじさんがいる。おじさんばっかりで、不謹慎だけど、ここだけ切り取ったら、天国なんじゃないかって思う。午後の光は、私の黒い前髪を小麦色に染め上げる。吹いてくる風が、頬を優しく撫でつける。スーッと眠りにつけそうなほど、心地良い。



人は死んだら、何も持っていけないし、一人っきりなんだ。だからきっと死んでも、今の私と何一つ変わらないんだろうと思う。でも、もしこの今、生きている世界で、ちょっとでも孤独から抜け出せる可能性があるなら、やっぱり人生という名の長い長い道を歩いていたい、最低でも立ち止まっていたいって思う。



土手の原っぱに寝転んでみた。枯れた草が髪に付くのが、わかった。でも、そんなの掃ってしまえばどうってことない。気にしない。人はどこか欠けている方がいいことは、愛を象徴とするハートマークを見ればわかる。




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