世子様に見初められて~十年越しの恋慕


十年前に国婚を済ませた世子と世子嬪。
国中の注目を浴びる中、漢陽にはすぐさま噂が広まった。

いつでもどこでも仲睦まじいお二人のお姿があり、宮中では笑顔が溢れていると。
多感な時期のお二人だからこそ、周りも微笑ましく見守っている、そんな噂だ。

その噂を耳にしたソウォンは、嬪宮様がさぞかしお美しいお方なのだろうと思った。
あの少年が世子様だとしたら、きっと嬪宮様も世子様のことを心からお慕いしたに違いない。
ソウォンが目にした少年は、端正な顔立ちで真っすぐ射抜く清らかな瞳。
そして、凛とした立ち姿。
ソウォンが手を上げたにもかかわらず、憤慨して叩き返すことは無かった。

ソウォンは月を見上げ、筆を執る。

【月下輝黄金輪 流歳月我想返—―――………】

ソウォンは、決して口には出来ぬ想いの丈を綴ることで切に断ち切ろうと足掻いていた。
詩をしたためるのは珍しいことではない。
日頃から詩や日記のようなものを綴っている。
けれど、今日ほど筆が重く感じたことは無かった。


翌朝、ますます顔色が悪いソウォン。
眠れないだけではなく、少し息苦しさも感じていた。
瞼を閉じて懸命に眠りに着こうと努力してみたのだが、瞼の裏にあのお方のお姿が鮮明に焼き付いて眠れなかったのだ。

「お嬢様、少し空気を入れ替えますね?」
「………えぇ、お願い」

乱れた髪に指先を這わせながら、戸の外に広がる青空に視線を向けた。
気持ちの上では庭先に飛び出して、体一杯新鮮な空気を吸い込みたいところだが、とてもそんな事が出来る状態ではなかった。
上体を起こすだけでも重い体。
まるで全身に楔が打ち込まれているかのようで。
やっとの思いで起き上がったソウォンであったが、視線が定まらず、庭先の花々が歪んで見えた。

「朝食は粥(チュッ)に致しますか?」
「………そうね、胡麻粥(ケチュッ)にして貰えるかしら?」
「胡麻粥ですね、すぐに用意して参ります」

チョンアはソウォンの体を支え布団に横たわらせ、そっと額に手を添える。
熱が無いことを確認すると、安堵した顔を覗かせた。

ソウォンは部屋に吹き込む春の風を肌で感じながら、ゆっくりと瞼を閉じた。


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