貴方が手をつないでくれるなら
これ以上関わるなんて…何されるか解らない。とにかく帰ろう。さっきの言葉…、不届き千万…。
「あ゙、いや…これのお礼に。…じゃないか。じゃないよな……参ったな、何言ってんだろ俺。はぁ……今、徹夜続きの徹夜明けなんだ…。疲れ過ぎててさ、頭も身体も訳解んなくなって、悪かった。…だけど……欲しいんだよね…」
は?!な、何、この期に及んで謝りながら言ってるの。やっぱり変、危ない人。ほ、欲しいって…つまり、…アレよね。やっぱりアレのことでしょ?…ヤラせろって…はぁあ?お礼にヤラせろなんて…。貴方が言うように、それは私にとってお礼じゃない。そんなモノになりはしない。何言ってるの、本当、おかしい。こんな事を初対面の女性に言うなんて…疲れてる?徹夜明け?知らないわよ、そんなこと。一体どんな仕事をしてるっていうの…。昼間に怠そうに…。ずっと徹夜って、何してたのよ…。
「ほ、欲しいとか、そ、そんな時間ならありません!…何言ってるんです、貴方おかしいですよ?そ、そう、自分でおかしいって言ってるし。そのカップはもう要りませんから、捨ててくださって結構です。そんな状態なら、尚更、真っ直ぐ帰って休まれた方がいいと思いますよ。では。あ、ちゃんと分別して捨ててくださいね」
…あ゙。素性の知れない、しかも強面の男に強めに言い返してしまった。…だってあまりに失礼だったから。…何もされないだろうか、大丈夫だろうか。早く立ち去らないと危ないかも。追いかけて来ないかな。そんなこと考えてる場合じゃない。早く早く…逃げなきゃ。だって、言ってること相当おかしいのよ。
開いたままだった文庫本をパンッと両手で閉じ、保温容器を倒さないように隅に入れ、捩じ込むようにしてバッグにしまった。
帰ろうと向きを変えた。
「待てよ!」
…えー?
一瞬の事だった。二の腕をがっしり掴まれ動けなくなった。…あ…。その指、力のある大きな手だった。手は滑るように下に向かってスライドして行き、手を繋ぐように掴まれ引かれた。
…、あ、…い、や。一瞬だ、悪寒のようなモノが微かだけど身体に走った。…い、や。
「…嫌、嫌、キャーッ!…ハァ…、…は、離して…離、してー!」
「お、おいっ。何だよ…スゲーな、いきなり…まだ何もしちゃ…」
手を思いっきり振り解くと同時に逃げるように走った。
「あ、おい。…お~い。…何だ、どうしたんだ、こっちがびっくりするじゃないか……はぁ、しかし、すげえ反応…」
何もまだしてないだろうが…。何なんだ?今の。ちょっと過剰ともいえる反応。…綺麗だったから…ちょっと、な。からかうつもりはなかったが、冗談がきつかったか。…しかし……異常なくらいの反応だったな…。
「お~い柏木ちゃ~ん、居た居た…、ここだったのか、捜したんだぞ?…ん、ん?何、何」
「あ、お、おぅ…」
真っ直ぐ走り去って行く女性の姿を見ていた俺の側に立ち、暫し二人で見送った。
…。
「おい、たそがれるには早いんじゃないの?」
「……ん…、ああ?」
「ずっと見ちまったな。何何?今の。なんか……美人さんぽい後ろ姿だったけど…。何かあった?…あ。おい。お前のだ、こ、れ」
肩を肩で押され、ペットボトルのお茶を渡された。
「あ゙?何だよ。…あ、あぁ…お茶か」
「何、お茶かって…そう、お茶だお茶。お茶に決まってんだろ、お前のだ。入れ忘れたってさ。謝ってたぞ。バイトちゃんが追い掛けたそうに焦ってたから、俺、知り合いだって言って、貰って来てやった。あんなにちょくちょく寄ってる店なのに、バイトの子って、入れ代わりが早いのなー。俺、覚えられてなくてショック!だから警察手帳見せて貰って来た、大丈夫よ、俺に任せなさいってね」
「あ、ああ…それは悪かったな…」
「…何だよ、うっすい反応。随分と有り難みの無い返事だな。まあ、座ろうぜ。……はぁ~、しかし眠いな…」
「あ?ああ、…そうだな…」
「もう、何だよ…え、すっかり魂、抜けてるな。それより…何だよ今の…凄い悲鳴だったけど、あの女性のだろ?事件かと思って慌てて駆けつけたら、お前が居た。お陰で居場所が分かったけどさ。何かあったのか?俺も何だかつられて見送ったけど、あのままで良かったのか?」
かなり遠く小さくなった女性に、二人揃って首を向け、また目で追った。
「あ?ん、あぁ、まあ…ヤラせてくれって言ったら、スゲー勢いで走って逃げられた…で、このザマ?」
…。
「はあ?!俺の聞き間違いか?確かに俺の耳には、今、ヤらせてくれって聞こえたけど。マジでか…そんなこと、言っちゃったの?今の女性に?…はぁあ?…お前なぁ…も゙う、何言ってんだよ…馬鹿かよ」
「ふん」
「ふん、てな。まあ、馬鹿は今に始まったことじゃないけどさ。全く…百歩譲ってだ……。仮にも真っ昼間だぞ?まして警察官が言う事かよ…。しかもあんな、純情そうな女性にだ。こう言っちゃ何だか、変質者で捕まっても可笑しくない言動だぞ?俺が現行犯で逮捕してやろうか?
…ヤラせろなんてな、…何言ってる、相当イカれてるな。…寝不足で阿保が完全体になったか…。そんなにしたけりゃな、そういう合法的なとこに行け、馬~鹿。被害届、出されるかもよ?………おい、聞いてんのか?」
振り解かれた手を見ていた。
「何だよ、まさか、どっか触ったのか?この手が悪さしたのか?」
「……手、掴んだくらいで、あんなに悲鳴上げるかね…」
…あ゙?だから聞いてんのか?全然懲りてないんだな…。
「…はぁ、寝ぼけてんじゃないよ。今更言わせんな。いいか?いきなり知らない男に妙なこと言われて、その上、触られたら、普通びっくりするだろうが。相手の身になってみろよ。あり得ない事だろ?しかも…、お前みたいな面の、風体の男にだ…どう見たって恐いだろうが。そういうボケは、ああいう人には通じない。フ…どれどれ?…、挙げ句、手におにぎりの米粒とかでも付いてたんじゃないのか?まあ、冗談はさておき…。
男に対する免疫とか、タイプとか、その他諸々で、とにかくお前が嫌だったんだろうよ。虫酸が走るほど。
…見ず知らずの男が、それも、ヤラせろって言って、挙げ句、手を掴んで来たら、悲鳴を上げるのは当たり前の事だ。白昼とはいえ、身の危険ってもんだ。…まさかお前…、既に公然ワイセツだとかしてないだろうな…」
目線が下に向いた。
「あ゙、お、…馬鹿。そんなコトするかよ。そんな事してたらホンマモンの変質者じゃないか」
「フ、分かんないだろ?…まあ、だよな、変態だ。いくら連日お疲れだからといっても、お前だって、そこまで節操が無い事は無いよな」
「…当たり前だ馬鹿。半分は冗談で言ったつもりだったんだ」
「半分ねぇ…ほんとか?あわよくばとか、思ったんじゃないのか?。…あんな真面目そうな人に…それは無理だ、通じないだろ。ま、通じなきゃやっぱりただの変態だ。で、それは?」
右手にカップを持っていたままだ。
「あ、あぁ、これか…これは。お前が早く追いついて来なかったからだ。お茶無しでおにぎり食おうとしたら、自分の持ってたお茶をくれたんだ」
「何だって?見ず知らずの人間に、しかもこんな不機嫌そうな面の男に…親切な人じゃないか。だったら尚更、そんな親切にしてくれた女性に、お前はなんて事を…最低だな。下品…キモい、変態ー。お巡りさ~ん、ここに変態がいますよ~、ナハハ」
「うるさい。ふざけんな…、ん、…ああ、そうだな。変態だ。綺麗なお姉さんだったから、…つい、な」
「ついじゃねえよ、反省しろ」
「…なぁ?」
「…ぁあ?何だ、まだ何かしたのか?」
「してない。何かあるのかな、て思ったんだよ…あの感じ」
確かに俺がしたことが悪い、面も…優しいとは言えない、恐いさ。だけどあれは…異常に怯えた感じだったとも言えるんだよな。
「それはだからお前のせいだろ。普通の反応だ……何かって?過去にって事か?それは考え過ぎだろ」
「あ?あぁ、…うん、何となく、…何となくだよ。そういった関連の事件被害者だった、とか…さ」
「ん゙ー、さぁな~…どうだろう…。そうだとすると…ちょっと辛いことになるな…。思い出させてしまったってことだろ?お前のせいで、だ。
どっちにしても、どこの誰だか解ん無いんだから、調べようも無いだろ」
「…だよな」
「俺らが単に職業的な見方になってるだけかも知れないだろ?そもそもの原因は言動が変態なお前だ」
「あぁ、そうかも知れない…疑ってしまうのは悪い癖だな…。俺も悪かったけど」
そうかも知れないが、…反応が過剰な気がしたんだ。
…そうだ…このカップがあるじゃないか…。
姿はもうとっくに見えなくなっていた。