貴方が手をつないでくれるなら
敢えて思い出したくもないが…、日向は昔、誘拐された事がある。中二の時だった。
塾の帰り、いつもの時間になっても帰って来なかった。こんな事は初めてだったから何だか胸騒ぎがした。行き帰りの道、近所、立ち寄りそうな店、父親と手を尽くして捜した。
携帯は何度架けても電源が入って無かった。一緒に行っている友人にも連絡をしてみたが、塾の前で別れたきりだと言う。全く手がかりが無く、なす術が無かった。
帰り道、事故に遭ったのかも知れない、…事件かも。
夜遅くになって警察に届け出た。勿論この時点で、事故に遭ってるような通報も無かった。
何も連絡も無く帰って来ないなんて。難しい年頃だし、家族が気がつかない何かが原因で、家出したという可能性もあるのではと言われた。
家出では無い。そんなはずは無い。家族仲は至って円満だ。だとしたら…誘拐?…まさかと思いたかった。
うちは突出して裕福な家庭という訳でもなかった。一般的な普通の家庭だった。金目当ての誘拐、それは無いのかも知れないと思った。だったら日向はどこに…。心の変化に気づいてなく、警察の人が言うように家出なのか…。
ウロウロと落ち着かず、なす術もなく……まんじりともしない夜を家族で一塊になって過ごした。母は憔悴しきっていた。
朝になって電話が鳴った。弾かれたように顔を見合わせた。慌てた、狼狽えた。
母が、お父さんと呟いて腕にしがみついた。親父は、解かった、と言うように頷いて、慎重に受話器を上げた。横から俺はスピーカーボタンを押した。
「…もしもし眞壁です」
「…おはようございます、可愛いお嬢さんはうちに居ます。ご心配無く、では」
「あ、待ってくれ。おい!」
それだけを機械音のような声が喋り、切れた。ツー、ツーと空しい音だけが聞こえた。
切れて尚、親父は、おい、日向の声を聞かせてくれ、無事なんだろうな、おい、おい!日向…日向、と受話器に問い続けた。母親は日向の名を呼び親父に縋りついた。
この時、金の要求は無かった。ご心配無くとは、どういう状況なんだ。怪我などさせてないということなのか。金が目当てじゃないのか。本当に無事かどうかもまだ解らない。慌てて警察に連絡した。
刑事がやって来た。
電話が架かってくるのを待っていたが、どんなに待っても二度と架かってくる事は無かった。
それからは最悪な事が頭を過ぎるばかりで、無事を祈りながらも一日一日過ぎる度、俺は絶望さえ感じ始めていたんだ。
「データベースにある?それはどういう?」
鑑識に来ていた。
「…はい。このカップにあった指紋、微量の唾液から、過去に誘拐された女の子の物である事が解りました。間違いありませんね。でもこの事件、かなり昔のモノですね」
……誘拐?誘拐だって?
「おい、それ、間違いないのか!」
では、無事解決した事案だったのか。
「ちょ、ちょっと。そう勢いよく突っ込まれても。僕じゃ無くて、データがそう判断してるんです。だからそうなんです」
「でも…なんでデータベースにまだ残ってるんだ?容疑者でも無いのに。古いモノなら、もうとっくに消されてなきゃ可笑しいだろ」
「…知りませんよ。僕にはそこまでは解りませんから。何か、たまたまなんじゃ無いですか?削除漏れとか…知らないですけど…。もういいですか?もう…、こんなの…僕にばっかり持って来ないでくださいよ…」
「事件の概要…、その犯人はどうなってる。彼女は…どうなった。どんな状態で、どうやって解放されたんだ。どんな奴がそんな事…」
「あ、…もう、…ちょっと…急かさないでください。まだ見るんですか?…もう……待ってくださいよ……」
まあまあという感じで、町田に両肩に手を置かれた。
「そんなのは自分で見ればいいでしょ…。あぁ、ここです、ありました。女の子は自力で脱出…とあります。犯人…、被疑者死亡…発見時、犯人は既に死んでたんですね」
「死んでる?…自殺か」
「はい、そうですね。そのようになってますよ。ただ…」
「ただなんだ!」
「あ、ちょ、ちょっと、柏木さん、顔、近いですってば…。いつにも増して威圧的なんだから…。離れてくださいよ、もう…。ちょっと落ち着いて待ってください…。
あのですね、何て言うか、死に方が…女の子に取って、これは辛かったと思います…酷いんです。僕ならトラウマになっちゃうな。
ここ、見てください。
犯人は自分の腹を刺して、息絶えるまで女の子と手を繋いでいたみたいですね。女の子がそう証言しています。
失血して事切れるまでとは…中々、長時間だったようですよ」
…はぁ、…だから、だ。…俺は、…知らなかったとは言え。なんて無神経な事を…。俺のした事…変な男が手を握ってしまったから事件を思い出させてしまったんだな。
「恐かったでしょうね…。恐いでは表現が足りないくらい。勇気もいったと思いますよ。片腕と足を拘束されていた女の子は、犯人の死後、そのナイフを使って紐を切り、逃げ出した。
…えー、拘束されていたのは、五日間。…だから、五日目に犯人は自殺、死んだって事ですね。
その間、入浴もしている。勿論、ご飯も与えられていた。…何がしたかったんですかね、この犯人…ぁ…そうか」
「…おい、お前の推測、意見は今はいいから…続きは」
「あぁ、はい。えっと…何も、されてませんよ?写真見ても綺麗な女の子ですよね。制服がよく似合う清楚な感じで。それに賢そうで。中学生の男子が好きになる女の子のタイプですよね。
性的暴行が無かったか、それが気になるんですよね?それは…、何も無かったとあります。
…あ、でも、何故、今頃またこの子を調べてるんです?この子って言っても今はもう大人ですよね。何か新しい事件に関連してるんですか?」
…町田と顔を見合わせた。
「それは無い、有難う、…もういい。余計な詮索はしなくていいから。この事は忘れろ」
「えー…忘れろとか、本当、勝手だなぁ。ただカップを渡されて、いきなり調べろなんて言っといて。もう、便利に使わないでくださいよ…。僕のIDでアクセスした履歴が残るんですよ?何してたんだって…はぁ。上から何か聞かれたら、僕はどうしたら…」
「それは大丈夫だ。夢を壊すようで悪いが、世の中で実はここが一番いい加減な職場だ。相当上のもんに関わる事件じゃない限り、なんかしてても干渉して来る事は無い。なあ、町田」
「ああ。まあ、その被疑者が実はお偉いさんの関係者だったっていうなら?また別の話だがな」
「え゙、ちょ、ちょっと…町田さんまで、そんな事言うのは勘弁してくださいよ。そんなの、触っちゃ駄目じゃないですか、何させてるんですか」
「大丈夫だって。お前の再就職先くらいは見つけてやるから」
「え゙っ?やっぱり、これって、実は終わって無い案件なんですか?偉い人に関係あるんですか?どっちが?どうなんですか?…ちょっとー、どうしてくれるんですか…」
「無いよ。本当だ。安心しろ、大丈夫だ」
「あ…何ですか、もう。本当ですよね?大丈夫なんですよね?もう…いい加減にしてくださいよ、いつもいつも、冗談が区別つかないんですから。もう…酷いじゃないですかぁ」
「まあまあ。悪かったな。何かあったらまた頼むよ」
肩を揉んだ。
「…柏木さ~ん、嫌ですよ~もう。心臓に悪い…」
「ハハ、そうやって図太くなるんだよ」
鑑識の新人君は可哀相な事に、いつもこうして俺達にいいように使われている。
これは…明らかに一方的な愛のあるパワハラだな。