貴方が手をつないでくれるなら


「違います!」

「あ゙?どうした…向きになって。俺は別に、今はこうしてギュッと抱きしめられるだけでも…」

「違います。…違うんです。…経験が無いから…そういう事の経験が全く無いから…、どういう風にして、どんな風になるのか、全然解らなくて知らないから。それで自分がどうなるのか、解らないから。だから何もかもが恐いんです。そういう意味です。…柏木さんは、気にし過ぎです。…気遣ってくれているのは、凄く解ります。でも、だからって、私は、…大丈夫です。大丈夫なんです。経験が無くても…恐くても、そこは大丈夫なんです。
だから、話をする時だって、言葉が昔の事に触れやしないかとか…、何もかも全然気にしなくていいんです。普通に、みんなと同じで大丈夫なんです。今、この事を聞いてくれた時だって、単刀直入にって言って、聞いてくれたじゃないですか。それでいいんです。どんな事も突然されてもいいんです。いつもそれで構わないんです!…はぁ」

「日向…恐い。落とされそうだ」

いつの間にか、Tシャツを掴まれてグイグイ押されていた。俺は両手を上げて降参していた。

「あ、ごめんなさい。でも…こんな事、話せるきっかけがある時に話しておかないと…いざっていう時、回避されたら……困りますから…」

「いざっていう時は、訪れそうかな…」

少しずつベッドの真ん中に戻ろうとした。

「えっ。それは解りません、まだ」

日向が少しずつ後退して行く。

「近いのかな…」

「解りません」

真ん中まで戻って来た。

「そもそも、今日はなんで積極的に来ようとしたんだ?」

「それは…色んなモノには、タイミングがあるからって…」

「指導されたんだ」

頷いた。

「…解らなくてもいいから、とにかく行けって…」

よく解らないと言っている人間には、そういう風に言うのが一番いいと思ったのだろう。理屈じゃないって事かな。

「言われたから渋々?」

「…渋々なんかではないです、違います」

だよな。あれから、手を替え品を替え、瞬時にあれこれと策を練って、最終的には俺にここに来ようと言わせた訳だから。

「日向はキスの経験はあったのか?」

首を振った。

「…あ、じゃあ…、この前の俺とのが初めてだったのか…」

「…はい」

「はぁ、それは悪かったな。ちょっとじょりじょり髭が当たるようなのして、初めての印象が悪かったな。…そうか、…そうだったのか…」

「悪いなんてそんな…。それは…した相手が柏木さんだったからで。髭はちょっとくすぐったかったですけど…大丈夫です」

「俺、自分は髭があるけど、…髭のある奴とした事ないからなぁ。何だか、今更だけど、チクチク痛そうだよな、これって。当たったところが…」

顎を撫でた。

「髭のない人とはしてるんですよね」

「当たり前だ。…あ、…まあ、な。今まで全くした事がないなんて言ったらいくらなんでも嘘になるだろ」

陽動作戦か?偶然の発言だろうけど。…これは、今、俺に関係のある相手が居ないのか、それの確認なのか?

「そうですよね」

「日向とした。最近したのは日向だけだ。もうずっと誰ともしてない。…あ、同棲中に…町田に奪われていたら解らないけど」

これは敢えて私だけって強調されてるのかな…。町田さんを引き合いにして昔の事は印象付けまいとぼやかせているのかしら…。

「町田さんは柏木さんの事、好きですもんね」

「…いや、そこは突っ込むところで、納得する事ではない…」

「そうなんですか?」

「そ、う!」

「フフ、解ってます。柏木さんが町田さんを好きなんですよね」

…。

「ここは突っ込むところですよ?否定しないとそうだと思いますよ?」

「あ、ああ。違う。違うに決まってる。断じて違う。…まあ、好きだとしても意味が違う、当たり前だろ」

余裕があるのか…。確かに面白いやり取りだけど。…もしかしたら、かなり手強い人物かも知れないな。物静かに見えていても日向って中々掴みきれないタイプかも知れない。

「フフ。あまり強い否定は逆効果ですよ?」

「だから違う…。長いつき合いだ。好きとしたら…相棒って意味でだ」

お兄さんが言っていた天真爛漫とは、こういったところの事なのかも知れない。恋愛は初級者かも知れないが、町田とやり取りをして一方的に翻弄されるような事はないかも知れない。
どうしても、どこか、弱いだろうと思っていた部分があるが、さっき必死で言ってたみたいに、本人にしてみたら、そういう風に思って接して欲しくないって事だ。それが本音らしい。
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