気まぐれな君は


羨ましかったんでしょう。にんげんが、名前を呼び合える私たちが。


ずっと、羨ましかったんでしょう。


「真空。いくらだって名前を呼ぶ。だから真空も、私の名前、呼んで」

「……っ、しずく……っ」

「うん。真空」

「雫、」

「雫だよ、真空」

「しずくっ」


真空、と優しくその名前を何度もなんども口にして。雫、と何度もなんども名前を呼ばれて。


大好きだよ、真空。君が猫だろうとなんだろうと、私はそんな君が好きになったんだって。


「真空、愛してる」


好きなんて、大好きなんて、とっくの昔に通り越えている。


ずっと我慢して来ていたんでしょう。猫だったって言わないように、お母さんのことを名前で呼ばないように、ずっと気を張っていたんでしょう。


一度だけ、真空がお母さんの名前を言いかけたことがあった。あのときは気付けなかったけれど、今ならわかる。


名前を呼びたかったんだね。考えてみれば、真空はいつも楽しそうに、嬉しそうに名前を呼んでいた。名前を呼ぶと、楽しそうに嬉しそうに、返事をしてくれた。


たくさん名前を呼ぼう。最期まで、数えきれないくらい。


「俺も、雫のこと、愛してる……っ」


泣きながら笑った真空に、私はただただ笑って、こつんと額同士をぶつけて。


たくさんの声が、真空を呼ぶ。嬉しそうな真空に、ずっと笑顔でいてほしいと願う。そのために、たくさん名前を呼ぼうということも決意して。


落ち着いたら、猫だった時の話も聞いてみようか。話してくれなかったらそれでいいし、話してくれるならとことん付き合おう。猫だった頃の君がどんな生活をしてたのか、猫が身近な私も、知りたいと思ったから。


疲れて寝てしまった真空を、客間に敷いた布団の上に寝かせる。その傍らに座っていると、襖を開けて入ってきた昴さんに、そっと耳打ちをされた。


「真空を……真白くんを、幸せにしてやれよ」

「分かってるよ」


即答すると、昴さんが頼もしいな、と笑う。任せてよ、とにやっと笑って見せると、私の頭を撫でた昴さんが家を出て行った。


< 86 / 93 >

この作品をシェア

pagetop