意地悪な彼の溺愛パラドックス
魅惑な彼に透かれるセンシャス
「頼む、触らせて!」
パンッという破裂音とともに、柏木遼(かしわぎりょう)は私に切願した。
事務所のドアを開けた途端、これだ。
この人に羞恥心はないのか?
そもそも仕事中だというのに。
あきれて右頬をヒクヒクと引きつらせながら中へ入り、店内と事務所を隔てる一枚のドアをバタンと閉める。
無駄に愉快な店内は業種柄特有。
裏腹にここは質素で無機質な空間。
そんな六帖ほどのスペースに、今いるのは私と彼の、ふたりだけ。
だからだろう。
職務上の立場も下、年齢も下の私に向かい、彼は男性らしい大きな両手のひらを自分の顔の前で打って頭を下げる。
レイヤーの入った髪がハラハラと揺れて、一昨日染めたばかりだと言っていたアッシュグレーが蛍光灯に照らされ青白く光った。
ダスティーなのに透明感のある、その細い艶髪はうらやましい。
身長160センチメートルの私よりも二十ほど大きい彼は、私にツムジを見せつつ前髪の隙間からはこちらを覗き見て、ひたすら返事を待っている。
職務怠慢上司に私はわざとらしくため息をつき、考え込むように目を伏せて言った。
「また、ですか?」
「少しでいいから!」
間髪を容れずに食いつくところをみると、もうひと押し、だなんて思っているのかもしれない。
このままいつものように、たたみかけて私を落とす気だ。
その証拠に下げていた頭はいつの間にか私を見下ろし、拝んでいた手は私の両肩にのっている。
私は眉を寄せて、ほんの少し頬を膨らませた。
「……本当に少しですか?」
「うん! たぶん!」
「多分!?」
自信に満ちあふれた曖昧な返事に私はガクッと左肩を下げ、ますます眉間に力を入れる。
こうして対峙しているときに考えるのは、今日も無駄な抵抗をする自分の未熟さへの憤りと、私の偏ったビジョンに描かれる彼のアウトライン。
三十六歳にしては艶のいい肌に甘い笑顔が香る爽やか系で、イケメンという言葉を使うならばその部類。
それにくわえて、無造作ヘアでもこなれた束感スタイリングがオシャレだし、定期的にトレンドのカラーリングやカットを取り入れつつも大人な雰囲気は壊さない。
スタイリッシュなビジネススーツにセンスフルなネクタイや小物、それだけできっと私服もはずれていないだろうと想像できる。
たとえばデート中に友達に会っても、外面がいいから好印象を植えつけられて、かつ外見も引けを取らない彼氏の理想像。
問題は中身なのだ。
「これから休憩だろ? 昼メシおごるから触らせてくれ」
時刻は十一時三十分。
今日のシフトでは、私はこれから一時間のお昼休憩に入る。
休憩といえどもあくまで仕事中だというのに、しかも濃密な仲では決してないのに、切に接触を求めるなんて、どうかしているとしか言いようがない。
兎にも角にも、普通ならば、私はこんな簡単に頭を下げる男は嫌。
見栄でもいいからプライドを持って格好くらいつけてほしいと思う。私はコホンと咳払いをひとつして胸を張った。
「いつもいつも食べ物でつれると思ったら大間違いですよ」
ときにはドリンク、ときにはスウィーツ、ときにはランチ、エトセトラ。
それらは彼と一緒になって私を誘惑し陥れる。
簡単に流される女のレッテルを張られていそうで悔しい私は、さりげなく身をひるがえし肩にのる手を払う。
すると彼は払われた手をヒラヒラと振りながら、気勢をそがれたような顔をした。
そのまましばし唸った後に「それなら……」と口を開く。
「色気でつってほしいとか?」
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