意地悪な彼の溺愛パラドックス

翌日。
私は月に一度しか着ないスーツを身にまとい、カツカツとヒールを鳴らしながら歩道を歩く。
ストールを巻き、ライナーつきのトレンチコートを着ているとはいえ二月は手強い。
等間隔に植えられた街路樹は寒々しい装いで哀感が漂うが、それでも行き交う人と街並みに混沌とした底辺と、ビルの隙間から見える青空のコントラストは私をわくわくさせた。
駅からの道中、光るウィンドウに自分を見る。
カッチリした格好なんて、そうそうしないのでちょっと楽しい。
レインボーキャッスルは大型ショッピングセンターの系列といっても、業種のせいかそこまで身なりに厳しくはない。
本部の人たちは普段から自前のスーツなのだが、スタッフが着用する制服は動きやすさと親しみやすさ重視。
走り回れるよう運動靴はテッパンだし、汗だくになるため仕事着は吸水性のよい素材。
なおかつキャラクターグッズを身につけると、それだけで子供受けがいいのではずせない。
だからこそ会議の日は、いつもより濃いメイクに、ヘアスタイルも編み込みをしてアレンジしたまとめ髪。
気分を変えて淡いピンクのブラウスにした。
たまには違う私でアピールできるかと思うと、つい気合いが入るもの。
しかしときおり吹く強い風がそれを乱す。
何度払っても、小顔効果を狙ってカットした触覚ヘアがルージュの艶めく唇についてしまい、恨めしげに眉を寄せた。
そのうち耳が痛くなりだして、自然と足早になる。
みっしりと立ち並ぶ建物の中から本部のあるビルを見つけると、私は小走りした。
エレベーターに駆け込んで会議室のある8Fボタンを押す。
ほんの一瞬、グンと身体が重くなり息を止めた。
「寒かったぁ」
肺の空気を吐けるだけ吐いて、広くはないエレベーター内でひとり左端の隅に寄りかかり、かじかんだ両手を口もとで温める。
スンと鼻を吸って今度は耳を温めるために両手で塞いだ。
じわじわと微妙に溶け始めるような鈍痛に顔をゆがめていると、目的地に着く前に3Fで止まりドアが開く。
そこには、背の高い男性がひとり。
鉢合わせに驚いて私が目を見張った相手は柏木遼。
珍しくアップバングでスタイリング全体の毛流れもハッキリしていて、いつもよりきちんとヘアセットしてあるのがわかる。
不覚にも感情の湧き出た頬は、寒さのせいだとごまかせるだろうか。
「はよ」
「おはようございます」
乗り込んできた彼にペコリと頭を下げつつ、内心なぜ本部も会議室もないこんな所から現れたのかと私が首を傾げると、察したように彼は言った。
「喫煙者に厳しい世の中になったよな」
「あぁ」
なるほど、彼がいた階はこの建物内では貴重な喫煙スペース。
私がうなずくと彼はククッと笑いを噛んだ。
「なんですか?」
「なんの遊び?」
そう言う彼に指差された先は、いまだに両手をグッと耳に押しつけて解凍の最中である私の手の甲。
私もいつもより大人の女性に見えるかな、なんて思っていたのにこんな行動はまるで子供だ。
恥ずかしくてポッと頬が赤くなる。
「みっ、耳が冷たくて!」
たじろぎながらバッと両手を下ろして下唇を噛んだとき、彼が「あ」と小さく声を張った。
私が問いかける間もなく伸ばされた彼の指先が、ルージュに捕まった横髪をそっと解放する。
音もなく見つめ合ったわずか数秒、その間に私は彼の瞳に捕まり動けなくなった。
息も忘れた私のまぶたがまつ毛を揺らしたときには、彼の指先は私の頬にすべり込んでいて、そのまま大きな手のひらに包み込まれる。
前髪に隠れてばかりの彼の目が今はあらわになっているのに、瞳からは表情がわからない。
つまり近くにいるのに遠い存在なのだと思い知ること、私はそれが悲しくて、彼のネクタイの結び目まで視線を下ろした。
温かい手のひらは、どうして私に触れるのだろうか。
< 16 / 68 >

この作品をシェア

pagetop