意地悪な彼の溺愛パラドックス
「馬場です。お疲れ様です」
『あー、オレオレ』
詐欺か、と思わず心の中でツッコミを入れる。
私が緊張して受けたのにも関わらず、聞こえてきたのは締まりのない声に緩い言葉使い。
『お疲れ。店どう?』
「順調に過疎ってます」
『りょ』
たとえるならば、いきなり膝カックンされたときのような脱力感。
それでも鼓膜をくすぐる彼の声は愛おしい。
彼は引き締まることもなく『えーっと』と話を続けた。
スピーカー越しにパラパラと紙をめくる音が聞こえて、彼が今なにをしているのか、なんとなく想像ができて顔がほころぶ。
『明日のことなんだけど……』
そうだ、明日は会議があるのだ。
各店舗の店長が本部へと出向き、エリアマネージャーが先陣を切って日頃の報告や売り場展開の工夫点、その他改善点などを発表し話し合う。
基本的にはマネージャー同士が行う情報交換会議に、月一度、出席して話を聞いてくればいいだけの店長にとってはわりと簡単な会議なのだが。
『……で、報告書きてないよ。まだ?』
緩かった彼の声色が半音下がると、私は反射的に背筋を伸ばす。
「すみません、今作っています」
『わかった。なるべく急いでくれ』
「はい」
『あと、カウンターの写真撮って送っておいて。展開うまいから明日使うね』
「えっ、本当ですか?」
『うん。アイディア性もあっていいと思うよ』
携帯電話を握る手に力がこもる。
彼に誉められたことが素直にうれしい。
店舗のカウンターでは、グッズやゲームのメモリーカードなどを販売していて、販促物をわかりやすく示した手描きのポップ広告や、子供も大人も目を引くようなキャラクターグッズの陳列に力を入れていた。
ある程度本部からの条件はあるものの、展開の仕方は店舗ごとに任せられているので、そこを認めてもらえるということは自信になる。
しかし喜びの反面、私は重要なことに気づく。
「ん? もしかして私のこと指します!?」
『そのつもり』
「ヤダ、絶対ムリ! 私がそういうの苦手だって、知ってますよね!?」
見えないとわかっていても、ブンブンと首を横に振りながら拒否した。
簡単な会議なのだが、唯一のネックはエリアの中で運のよい店長が二、三人ご指名され行われる質疑応答。
あたり前だが、それはマイク片手に真面目なことを答えなくてはならないうえにかなり目立つ。
たとえ「適当でいいよ」と言われても、私は上がり症なので口巧者のように話せた試しがないのだ。
いつのことだったか、噛みまくったうえに路線をはずれた解答をして、柏木遼も修正に困っていた。
もし「仕事なのだからやれ」と間髪を容れずに言われれば黙って恥を晒すが、見逃してもらえるならばそうしたい。
苦悶するように『うーん』と唸る彼を捉えて、私は自分にゴーサインを出した。
「私のこと指したら、もう触らせてあげませんから!」
今こそ唯一無二のアイテムを使用すべきときだと、ここぞとばかりに弱みを突く。
彼が溺愛して止まないロングヘアー。
私が把握する奴の弱点はこれしかない。
彼は言葉を詰まらせ沈黙し、やがてため息とともに妥協した声が聞こえた。
『……あと三十分以内に報告書を出したら、多分指さない』
「かしこまりました!」
私は電話を切り、珍しく彼を言い負かせた爽快感に酔いしれながら勢いよくキーボードを叩き出す。
二十分で報告書を仕上げ、最後に『スキル発動中』と一文添えてカウンターの写真もメール送信した。
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