意地悪な彼の溺愛パラドックス
「お疲れ」
「か、柏木さん!?」
裏返った声であわあわと指差す私に、爽やかに微笑みながら「よう」と挨拶がてら、顔の横で手を掲げ近づいてくる。
「なんでそんなに驚くの?」
「予想外です」
カチューシャを渡されて以来、といっても二日前だけれど。
次に会うのは、まだまだ先の予定だったはず。
そんなすぐに吹っ切れるほど単純ではないから、会いたくなかったのに。
急に神妙にかしこまった私に、若干引きつった笑顔で首を傾げた彼は、いつか私服のセンスに期待したように私的ストライクな格好。
カットソーとスプリングニットのレイヤードにキレイめアウターを羽織り、タイトなパンツで綺麗なアイラインシルエットを作っている。
惚れた弱みを豪速球で突かれた私は、ゴホンと咳払いする。
自分の頬が染まるのが嫌でもわかり、面と向かえず彼の十時方向を眺めた。
「お休みですか? 遊びに来るなんて珍しいですね。本当は戦場に行っちゃう系だったりして」
頬から視点を逸らしたくて口笛を吹くようにボソボソと言った私の両頬を、あろうことか彼は片手でムニュッと押し潰す。
尖った唇を見て「タコ」だと笑い、それからククッと意地悪く口角を上げて私を品定めた。
「バーカ。ペナルティーのチェックだよ」
高めのトーンで声を弾ませて言われ、カッと火が出るように身体が熱くなり、私は眉を寄せて彼の手を振り払う。
奴はどこまで不埒な誘惑スタイルを貫くのか。
ウサギ耳を着用すること自体は、仕事として割り切れば抵抗などないのだが、彼にいじられるとなると急に恥ずかしくなるのは不甲斐ない。
「変態! セクハラ!」
「バカヨの格好の方が変態だぜ?」
「なっ!」
自分が言いつけたくせにと文句を言いかけたが、不意に足になにかがまとわりついた気配がして「ん?」と下を見る。
足もとには、いつからいたのか小さな女の子が、私を見上げて背伸びしていた。
彼がひょいと抱き上げると、うれしそうに手足をバタつかせている。
「アイリ、こんにちはできる?」
「あいりちゃん、にさい」
ちょうど私と同じ目の高さになった女の子は、ハイピッチのかわいらしい声で、こんにちはの代わりに片言の自己紹介をした。
赤いポンチョに包まれたアイリちゃんは、わたあめのようにふわふわの髪とチワワのようにくりくりした目、そして雪のような白い肌。
それはもうまるで……。
「天使? それとも赤ずきんちゃん?」
「食うなよ」
反則級の愛らしさにあんぐりと口を開けて見入った私を、彼は訝しげに見てアイリちゃんを抱きしめる手に力を込めた。
しかしアイリちゃんは、そこから抜け出そうと訴える。
「うしゃぎ! あいりちゃんも!」
私のウサギ耳を触ろうと小さな手のひらを泳がせた後、自分の頭をペチペチと叩く。
二歳の子には少し大きいサイズかもしれないが、私はウサギ耳をはずしてアイリちゃんの頭に着けてあげた。
「っか、かわい……」
「かわいいぞアイリ!」
私の言葉を追い越して叫んだのは、愛娘に悶絶寸前の親バカ。
「柏木さん、顔緩みまくってますよ」
私に意地悪く笑いペナルティーを課した彼と、同一人物だとは思えないほどの目尻の下がりようとデレデレ具合。
彼がこんなふうに笑うところ、初めて見た。
「コレは罪だろ。かわいすぎる!」
「アハハ。目に入れても痛くないってやつですね」
私は、肌が痛い。
身体中の肌に染みるように愛が伝わってきて、笑顔を保つのは難しかった。
作り笑いがまともなうちに仕事に戻ろうと後ずさると、人混みを避けながら大声で彼を呼ぶ女性が、息を切らして小走りで駆けてくる。
「いたいた! もう、おいていかないでよ」
緩めのニットワンピースを着た彼女のお腹は大きくて、思い出す柏木遼と大和くんの会話。
バカヨというレッテルを張られている私だって、すぐに彼女の名前まで合致した。
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